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 光屋と音信不通の日々を過ぎ、とうとう真崎が引っ越す日となった。大きな荷物は特にないので業者には頼まず、トラックを借りて真崎の友達など数人で荷物を運ぶことになった。婚約者の冴子も同様で、新居で昼に落ち合うことになっている、と真崎が話していた。  そんな引っ越しだから当然、一番働かされているのは彰浩だ。 「真崎、本多すぎ。少し売ればいいのに」  箱を抱えながらエレベーターに乗り込み、彰浩はどさりと箱を下ろした。色々処分したとは言うが、やっぱりそれなりに荷物はあるし、他の友人は彰浩に遠慮して部屋に入ってこなかったから、結局真崎と彰浩の二人で部屋とエントランスを往復している。  こうやって二人で作業をすることもなくなると思えば、多少面倒なことでも楽しい時間だ。 「まだ完結してないんだよ、その漫画」 「そういうとこ、お前こだわるよな」 「北だって、何年も前の雑誌とか奥の方に眠ってるだろ」 「悪かったな、ずぼらで」  どうせしばらく片づけなんてしてませんよ、と悪態をつきながら箱を持ち上げる。ドアが開いて降りようとしたところでドアの隙間につま先を引っ掛けてしまった。転ぶ、と思って身構えたが、箱ごと誰かに支えられ、彰浩はかろうじて立ったまま顔を上げた。 「大丈夫ですか?」  その声に彰浩は目を瞠る。久々に見る光屋は、少し瘦せたようにも見えた。けれど、力強い腕と優しい顔は変わらず彰浩をドキドキさせている。 「……光、屋……くん」  驚いた彰浩からダンボール箱を奪うと、光屋は真崎に頭を下げた。 「おれも手伝います。体力あるんで、なんでも言って下さい」  そんな光屋に対し、真崎は穏やかに頷いて、ありがとう、と笑った。 「助かるよ。じゃあ、玄関からここまで荷物降ろして貰おうかな。非力な北は、部屋から玄関まで担当な」 「非力って……」 「その方が早いんだよ」  真崎の指示に、ちゃんと話をしろよというメッセージが含まれているのを感じ取り、彰浩は渋々頷いた。  光屋は義理堅いから、今日話を聞くと約束した手前、来ざるを得なかったのだろう。きっと、彰浩と二人になったら話をするのは光屋のほうだ。もう彰浩が信じられない、そもそも男となんて――と別れ話をされるのだろう。  それは仕方ないことだ。そうなったら潔く諦めよう。 「光屋くん、それ運んだら二階な」  彰浩は、それなら最後まで大人でいよう、と心に決め歩き出した。  光屋との作業は無言だった。必要最低限の声掛け以外は何も話さず積み込みが全て終了してしまった。覚悟していた分、肩透かしを食らったような複雑な気分になる。もしかしたらこのまま曖昧にして、彰浩の気持ちが逸れていくのを待っているのではないか――そんなばかばかしいことまで考えてしまう。光屋の性格上、それはないだろう。 「じゃあ、あとよろしくな、北」  ぼんやりしているところに真崎から声を掛けられ、彰浩は慌てて笑顔を作った。  あんなに真崎と離れることを怖がって苦痛に感じていたのに、今はもう何も感じない。真崎には幸せになってほしい。彰浩が願うのはそれだけだった。 「ああ、掃除は任せとけ」  まだ散らかっている部屋は、餞別代りに彰浩が掃除することにした。一人きりになるなら仕事は多いほうがいい。そうすれば光屋のことを考える時間が減るから――そう思って彰浩は、進歩ないなと一人笑った。  そういえば真崎にふられて、でも諦めきれない気持ちを抱えていた時も、光屋といることで真崎のことを考える時間を減らそうと考えていたのではなかったか。  まさかこんなに好きになるなんて……そう思いながら隣の横顔を見上げると、その唇がふいに動いた。 「真崎さん、少しだけ時間いいですか?」
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