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 北、と呼ばれ振り返ると、久しぶりに見る真崎がネクタイを結びながら近づいてきた。 「もう行くんだけど」  玄関で革靴を履き終え、今まさに家を出ようとしていた彰浩は不機嫌に真崎を見上げる。それでも真崎は、まあまあ、と柔和な笑みを向けた。 「北、結婚式来れるなら、挨拶頼んでいいか? 新郎友人代表っても、友人ばっかりのパーティーなんだけど」 「挨拶ぅ? 俺がそんなことできると思うのかよ」 「むしろ適任だと思って頼んでるんだけど。聞いてくれていいだろ、親友の頼みくらい」  そう何度もあることじゃないんだし、と真崎が笑う。その笑顔を向けられて、彰浩が断ることなどできるわけがない。コイツはもう他人のもの――そう思っていても、弱いものは仕方ない。 「俺に出来るか? お前のすっごい過去しゃべるかもしれないけど良いんだな」 「何言ってんだよ。僕にそんな過去なんかないね」  どうだか、と彰浩はため息を吐いたが真崎がいつでも真っ直ぐに生きてきてるのは、誰より彰浩が一番知っている。付き合った女の子だって、フィアンセ一人というのだから、まるで一昔前のような硬い男なのだ。褒める点こそいくらもあれど、貶す点は見つからないのだ。 「まあ適当にやってやるよ。じゃ、行くな」 「ああ。引き止めて悪かったな――あ、今日僕彼女の家に泊まるから……ってお前また遅いのか?」  真崎が呆れたようにため息を吐く。それに苦い笑いを返してから彰浩は家を出た。  今日は彼女の家で彼女を抱くのだろうか――そんなことを考えてしまう自分が浅ましくて、それが辛くて、彰浩はあえて笑って真崎と別れた。  心臓の痛みを感じながら、いつになったら諦められるんだろう、と自分の気持ちにため息をついて、彰浩は歩き出した。  その日、一通り営業先を廻って会社に着いたのは午後五時少し前だった。いつものようにエレベーターに乗り込むと、後ろから一人の男が駆け込んできた。その顔を見て彰浩は思わず、あ、と声を上げた。 「あ……昨日は……」  なんと言っていいのかわからないのだろう。目を合わせた光屋はそこで言葉を淀ませた。 「光屋くんだっけ。時間あったら少し上、付き合わないか?」  彰浩はそんな光屋に笑顔で誘いの言葉を掛ける。光屋は少しなら、と頷いた。  屋上に上がった彰浩は、ベンチに座った光屋に缶コーヒーを差し出しながら、悪かった、と頭を下げた。 「あの、北さん、おれ、謝られることなんて全然されてないですから……」 「いや、謝ることだよ。あれはちょっとやりすぎだ。そもそも新人をからかうなんて、すべきことじゃない。今日出勤してこなかったらどうしようかと思ったよ」 「いえ、おれもびっくりして……おれ、北さんの言うとおりホントに免疫なくて。ちゃんと誰かと付き合ったことってないんです。だから、あんな冗談も上手くかわせなくて……すみません」  光屋は足元に視線を落とし恥ずかしそうに言う。笑っていいですよ、と言う光屋に彰浩はかぶりを振った。 「まともな恋愛をしてないってとこに関しては俺も一緒だからな。歳の分、俺の方が恥ずかしいだろ」  彰浩は光屋の隣に座りコーヒーのプルタブを引きあけた。 「……おれに、気を遣ってます? 北さんみたいな人がずっと一人だなんてないですよね」 「いや、本当に誰かと付き合ったことはないんだ。まあ、一晩だけ、なんてものは日常だけど――もう十年片想いしてたんだ、親友に。もう諦めればいいのに、全然諦められなくてここまでずるずると来て。だからお付き合いとか、そういう経験はゼロ」  彰浩は言うと、缶コーヒーに口をつけた。そしてふられた、とは言えなかった。最後のプライドなのか、まだ真崎を想っていることに変わりはないからなのか、そのへんは自分でも分からなかった。よほど変な顔をしていたのか、その姿を光屋が驚いた顔で見つめる。 「そうだったんですか……すごいですね、それだけ想っていられるって」 「すごかないよ。ただ粘着質なだけかもな」  光屋の顔に微笑みながら、どうしてこんなことをあっさりと話してしまったのだろう、と彰浩は困惑していた。まだ会うのも二度目だというのにこんなプライベートなことを話してしまうなんて自分らしくなかった。もしかしたら心のどこかではこの辛い何かをだれかに吐き出したくて、出会って間もない光屋に話してしまったのかもしれない。どうせきっともう会うことはないだろうから、と。 「さてと、俺は仕事に戻るよ。光屋くんは?」  立ち上がって聞くと、光屋は思い出したように腕時計を見やった。 「あ、出勤時間! すみません、ご馳走様でした!」  光屋はバネのように立ち上がると、そのまま屋上を駆け抜け中へと入っていった。 「うん、じゃあな」  彰浩はそう呟いてゆっくりと歩き出した。
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