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 今日は真崎が家にいないのだから残業する必要もない。しかし彰浩はまた、誰もいないオフィスでパソコンと向き合っていた。早く帰ってもいい日に限って大量の仕事が待ち構えていた。 「……まあちょうどいいか」  彰浩はため息を吐きながらキーを打つ手を止めた。仕事をしていれば真崎のことを考えずに済む気がした。特に今日みたいに真崎をすっかり彼女に取られてしまった夜は誰かに寄りかかりたい。けれど誰でもいいわけではないことはこの二カ月で嫌と言うほど分かっていた。ならば仕事に頭を持っていかせてそんな弱い自分を忘れるしかないのだ。  我ながら面倒なやつだな、と思いながら再びパソコンに向き合ったその時だった。  静かに開いたドアの気配に彰浩が振り返る。 「お疲れ……さまです」  ドアを開けた光屋がその場でぎこちなく頭を下げる。律儀というかバカ正直というか、とにかく普通であればここは素通りするところだろうと思うと、彰浩は笑いを抑えられなかった。 「お疲れ様。またここで会えるとは思ってなかったよ」  笑いながら彰浩が返すと、光屋は眉を下げて、さっきはごちそうさまでした、と彰浩の机に新しい缶コーヒーを置いた。その言葉に彰浩が驚いて、ありがとう、と呟く。 「もうここには来ないと思ってたよ」 「え? どうしてですか?」 「いや……昨日、あんなふうにからかったし」  いくらさっき謝ったからといっても、この場所では顔は合わせたくないだろうと思っていた。男に冗談でも迫る男なんて、忌避したい存在だろう。けれど光屋はそんなことを思ってもいないのか、笑顔で彰浩に近づく。 「それは気にしてないです。どっちかというと、ちょっとからかわれたくらいであんな反応しちゃう、おれの方が恥ずかしいというか……ホント、北さんに教えてもらいたいくらいです」 「俺は遊んでばっかりだよ。教えることなんてない」  彰浩が笑うと光屋は、それでも、と口を開く。 「遊びも出来ないおれよりはいいと思うんです。昨日だって、おれがもっと慣れてたら、謝らせることもなかったと思うのに……」  光屋は言葉をそこで切り、唇を結んだ。それを見て彰浩が微笑む。 「昨日のことは俺が悪かったんだから、忘れたらいい」  な、と笑って言うと、光屋は頑なに首を振った。 「それは出来ません! いや、あの……おれ、こんなだし、北さんの傍で勉強しちゃだめですか? 北さんみたいにスマートでカッコよくなりたいです」 「勉強って言われても……俺、何もしてやれないけどいいのか?」  光屋はなぜか憧れの目を向けてくれるが、ゲイの彰浩に女の子に好感を持たれそうなテクニックやノウハウなど持ち合わせていない。  昨日のことだって好みだなと思ったから、少し触ってみたくなっただけで、冗談で終わらせたのは自分のためだ。これ以上踏み込まないための線を自分で引いたにすぎない。 「はい。それでもいいんです。北さんの近くに居れば、色々慣れそうだから」  その整った顔が無邪気な表情を作ったまま彰浩を見つめる。そんな顔で言われたら彰浩だって頷くしかなかった。彰浩はため息を一つついて気持ちを切り替えた。 「……わかった。好きにするといいよ」 「ありがとうございます!」  これでおれも少しは変われるかな、なんて無垢な顔で笑う光屋を見ていたら、こうやって誰かと恋愛抜きで付き合うのも悪くないだろうと思った。光屋で手一杯になって真崎のことを忘れられたらそれはそれでいいことだ。彰浩はそう考え、光屋くん、と口を開いた。 「次の休みは? デートするか」 「デ、デート、ですか? 北さんと?」 「じっくりからかってやるから、付き合えよ」  慣れたいんだろ、と笑うと光屋が驚いた顔をする。 「え、あ……お手柔らかにお願いします」  光屋の言葉に、もちろん、と頷くと、光屋が嬉しそうに顔を綻ばせた。  それから互いの連絡先を交換し、光屋は、連絡します、と言って仕事に戻っていった。  その後姿を見送りながら彰浩はため息をつく。 「……大丈夫か、俺……」  相手はノンケだ。しかも好みの顔をしていて、性格も可愛い。そんな男と一緒に居て、酔っ払いでもしたら誘ってしまうかもしれない。のってくることはないとは思うが、それだけが不安だった。 「その時はごめんな、光屋くん」  その時を想像して、彰浩はさっきスマホに登録したばかりの光屋のIDに謝っていた。
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