3

1/3

417人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ

3

 仕事が上がった金曜の夜、彰浩は珍しく早い時間に会社を出ていた。光屋との約束の場所に向かうためだ。  駅前にあるコーヒーチェーン店に入った彰浩はフロアを見回した。奥の席に光屋の姿が見える。デニムパンツ姿のそれは、いつもの制服とは違い、なんだか新鮮だった。  あの日から光屋とは毎晩会社で会っていた。特に何かするわけではなく、コーヒーを飲みながら少しだけ話をする程度だったが、彰浩の心が少しずつ凪いでいることに自分でも驚いていた。何か他の事を気にかけるだけで、その時間が真崎から離れる勇気をくれるのだとわかった。別に無理に他の誰かを好きになる必要などないのだと思うと、なんだか体が軽くなったような気さえする。そのせいか、彰浩の中に光屋をからかおうという気持ちはすっかりなくなっていた。自分にとって心を解くことが出来るのが多分光屋といる時だけだからだろう。この時には既に光屋を何でも話せる友達と思うようになっていた。  失恋の特効薬は何も恋だけではないのだと気づかされた気分だ。 「悪い、帰りがけに仕事入って」  光屋が自分を見つけると、彰浩は大きく息を吐きながら光屋の向かい側に座った。 「いえ、さほど待ってません。何か飲みますか?」 「いや、すぐ出よう。どこかで呑みながら食事しないか?」  そう言った途端、ポケットからスマホの着信音が響く。けれど彰浩はそれに応対することなく、ポケットに戻した。それを見て光屋が、あの、と口を開く。 「いいんですか、スマホ」 「え、あ……ああ、特に大事な電話ではなかったし」  着信は会社の同僚からだった。電話が繋がらなければメッセージでもくれるだろうと思って出なかったのだが、光屋は少し心配そうに眉を下げた。 「他の人からの誘いの電話とかは? 週末ですし」 「ないよ。それに光屋くんと会ってるのに他人に時間やることないだろ、もったいない」  今は彰浩にとって癒しの時間なのだ。時間外の仕事の話に付き合うよりも、光屋と他愛もない話をするほうが、よほど有意義だ。   彰浩の言葉を聞いて、光屋は感心したように息をついた。 「なるほど。そういう言葉に女性は惹かれるんですね。彰浩さんがモテるの、なんか改めて理解しました」  そう言われると、自分のために電話を無視した彰浩は、なんだか居心地が悪くて、行こうか、と立ち上がる。けれど、光屋が自分を見る尊敬にも似た羨望の目は嬉しかった。  光屋と店を出て、近くに見つけた居酒屋に入り適当に注文し終わると、今度は光屋のスマホが着信を告げた。 「出ていいよ」  仕事かもしれないだろ、と彰浩が向かいで言うと、光屋は相手だけ確認して留守に切り替え、彰浩と同じようにスマホをしまい込んだ。  そういえば自分のようになりたいから傍にいると言っていたんだったか、と思い出し、真似するなんて可愛いなと思って、彰浩は小さく笑った。 「俺の真似することも遠慮することもないんだよ」 「いえ……大学時代の友達だったので。しょっちゅう会ってるヤツなんでいいんです。どうせまた女の子との飲み会とかの誘いだから」 「いいじゃないか、飲み会。行った先にいい子がいるかもしれないだろ」  運ばれてきたグラスを光屋とぶつけてから、彰浩が笑う。けれど、光屋の表情は浮かない。 「おれ、ただぼんやり立ってるだけなら、割と声を掛けられる方なんです」 「え? なにそれ、自慢?」  彰浩が眇めた目で見やると、光屋は、そうじゃなくて、と不機嫌な顔を向けた。彰浩は、ごめんって、と笑って今度はおとなしく光屋の言葉の続きを待った。 「けど実際に話していくうちに、なんかがっかりされるみたいで……だからそういうすぐに恋愛に結びつくような場所での出会いは嫌なんです」  だからアプリとかも登録してなくて、と光屋が手元の箸を弄びながら小さなため息を零した。 「まあ、確かに光屋くんって言葉足りない時あるよな。くそ真面目だし」 「……北さんもそう思いますか?」 「でも、それが光屋くんのいいところでもあると思うけど。そういうのが分からない女は大抵バカだからやめときな」  それでいいんだよ、と彰浩は笑ってグラスを傾けた。光屋が驚いた表情で顔を上げる。 「そんなふうに言われたの初めてです」 「そうか? ……多分、光屋くんみたいに言葉の足りないヤツが近くに居たからだろうな」  彰浩は真崎の顔を思い出しながら答えた。真崎もはきはきと喋る割に言葉が足りないタイプだ。まっすぐすぎて言葉を丸く出来ずに誤解されることも少なくない。どことなく光屋と共通するところがある。 「それって片想いの相手ですか?」  光屋がにやりと笑う。彰浩は自分が今、とんでもなくだらしない顔をしたのではないかと思って頬に力を入れた。そうして、ばーか、と笑った。 「俺が好きな相手がお前に似てるわけないだろ」  そう言うと光屋は、確かにそんな女性いないですよね、と笑った。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

417人が本棚に入れています
本棚に追加