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「ちょっとよろしいかしら?」
私は、ベンチに座るサラリーマンを見下ろしながらも、笑顔は絶やさずにいた。
人間という仮の姿で暮らすには、程々の二面性が必要なのだ。
なんでも本音という訳にはいかない。
サラリーマンは、ふがふがと間抜けな音をハモニカから出して、
「はい?」
と、驚いた顔をして、私をどんぐり眼で見つめた。
「素敵な演奏ですね、ミュージシャンの方ですか?」
流石にわざとらしいと、私は言ってから後悔した。嫌味に聞こえたかも知れない。私はサラリーマンの素性を見極めようと、意識を集中させながら会話を続けた。
「あ、突然話しかけてしまって、ほんとにごめんなさい。あまりにも心に響く演奏に、ついつい興味がそそられてしまって、私ったら…」
「いえ、ありがとう、僕はまだまだ初心者で、ドレミすらも把握していないのですよ」
「そおなんですかあ?」
「そおなんですよ」
「だけど、曲を演奏なされていたのでしょう?」
「ええ」
「曲目はなんでしたの?」
「ピアノマンです」
「ピアノマン?」
「ええ、ビリージョエル、ご存知ですか?」
「いえ、存じ上げませんが…ピアノマンをハモニカで?」
「はい、ハモニカで」
私は違和感を覚えていた。
サラリーマンの素性が探れないのだ。
のらりくらりとはぐらかされる。
まるで生きていない人間のようだ。
こいつに感情はあるのだろうか。
そして、ピアノマンとはなんだ?
何故ピアノで演奏しないのだ?
サラリーマンは、そんな私の動揺を見透かしたのか、スックと立ち上がって、
「私のことを知りたいですか?」
「え?」
「困ってますね、お嬢さん、顔に焦りが出ていますよ」
「え?」
「瑠璃色の瞳、意志を持った素直な唇、噂通りだ。山村京都さん。初めましてかな」
「あなたは…」
「申し遅れました。厚生労働省・暮らしやすさ改革担当次官、桂木龍太郎です、よろしくお願いします」
「はあーッ!?」
私は素っ頓狂な声をあげて詰め寄った。
非常識にも程があるではないか。長時間待ちぼうけを喰らった相手は、私の目の前でずっと、下手くそなハモニカを吹いていたのだ。これ程までに無駄な時間を過ごした経験はないし、コケにされた記憶も無い。
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