1972時世界

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1972時世界

私が此処を訪れたのは理由があって、人工的に造られた沼に浮かぶ蓮の花や、愛くるしいカルガモの親子を眺めながら、心穏やかに過ごしたり、くたびれたサラリーマンの、自己満足気なハモニカの演奏に想いを馳せる気は更々ない。 それなのに、厚生労働省の役人との打ち合わせに来ただけで、こんなにも退屈で、しかもくだらない人生とやらの茶番劇を見せられるとは腹立たしい。 今、私の前を走り抜けたランナーは、健康を気遣ってジョギングを始めたらしいが、毎日酒を呑んではもつ焼きをたらふく喰らう大酒呑みである。 また、水辺でベビーカーを押しながら、談笑している若い女性は、タワマン暮らしの苦労とやらを、大きな声で話しているただの見栄っ張りだ、 草原に寝転ぶ男性は、居場所の無い家庭のストレスを、会社の部下に八つ当たりするパワハラ・モラハラ係長で皆から嫌われている。 そう、私は人の素性が判るのだ。 よって、人間の全ての振る舞いが茶番に見える。 昨日もそうだった。 行きつけのサロンで、長かった黒髪をショートボブにしたのだが、担当のヘアデザイナーの男性は、ちらちらと私の胸元を見ていたし、挙句、色情狂いも甚だしく、あれやこれやの妄想を描いていた。 そのくせ、済ました声で時事問題を語るのだから滑稽である。 つまりはそれが人間てあり、1972時世界の成り立ちなのだろう。 さて、約束の時間は当に過ぎているのに、官僚というのは相手が庶民だと、3時間も人の時間を奪っても平気なのだろうか? 私は流石に苛つき始めていた。 スマホにも連絡は入っていないし、何より、神経を逆撫でさせる耳障りな音が、怒りを増幅させていく。 お世辞にも上手いとは言えないハモニカの演奏、私は何を聴かされているのだろう。 私の足は、くたびれたサラリーマンの元へと向かっていた。
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