#9:Opportunity.

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#9:Opportunity.

「ボクの物です…すみません」 期せずして戻ってきた想い出の品を受け取ろうと、立ち上がって手についた砂を払った。 〝ひど…かお…〟 呟くように何か言われたような気がしたけれど、逆光で分からなかった拾い主は、どうやら女性のようだったようだ。 「拾って頂いて、ありがとうございます。助かりました」 頭を下げてから、卒業証書を授与される時のように、両手で丁寧に貰い受けた。 「いえ…」 目が慣れてくると、彼女の姿が少しずつ明らかになっていった。 ベージュのコットンキャップに、グレーのオーバーサイズなパーカー、黒のショートパンツ、足元はビーチサンダルを履いていた。 特徴的だったのは、目元を覆い隠す大きめのサングラスと、後ろで纏められていたけれど、(ほど)くとボブくらいの長さだろうか、黒くツヤのある髪の中に、金色のイヤリングカラーが良く映えたヘアスタイルをしていた。 中学生…いや、高校生だろうか。見えているノーメイクの肌のキメ細やかさと、幼さが残る口元は、その身なりからイメージするより、かなり年若いことが分かった。 (サングラスなんて、セレブの(むすめ)なのかな…) あまりジロジロ見て声をあげられるのも嫌だったので、すぐに目を逸らした。 「ここの夕陽は本当に綺麗ですよね…」 とりあえず、この場を凌ごうと言葉を発する。 「そうですね」と言うと、彼女は続けた。 「は……いやっ、知っている人の…想い出の場所らしくて、改めて観てみたいと思いまして」 これだけ美しい場所なんだから、色んな人の想い出の場所になることは、珍しいことでは無いだろうと思った。 「想像以上でした。やっぱり『実物』は違いますね」 同感だ。ポストカードと邂逅して見た気になっていたけれど、波の音、潮の香り、砂浜の感触、光の輝き、体を纏う温度と当たる風は、この場所に『来なければ』体験することの出来ないものだった。 「ボクも十二年振りに来たんですけど、ここは何も変わってなくて感動しました。街並みは変わっているかもしれないですけど、ここは変わっていませんでした。それって素敵なことだと思うんですよね」 彼女が真っすぐ目を離さず、ボクの話を聞いていることに気付くと、何を語っているんだろうかと恥ずかしくなってしまった。赤の他人に語るような話ではなかった。 「ほら、後ろ、キラキラしていて綺麗ですよ」 彼女から向けられる眼差しの対象を、ボクから変えたくて海上を指差す。 海を見た彼女は「凄い…」と言って感動しているように見えた。どこか既視感を覚える姿だったけれど、考えることはやめた。 「カード…拾って頂いて、ありがとうございました。ごゆっくり」そう言って立ち去ろうとした時、彼女に呼び止められた。 「あのっ…」 「はい…?」 何か言いたげに口を半開きにしていたけれど、真一文字にして仕切り直してから、彼女は言った。 「どうか生きていて下さい」 「はぁ…」頷いた意味だったけれど、『はい』とは言えなかった。 砂浜から『作りもののコンクリートの世界』に戻る直前、振り返って見た彼女の後ろ姿は、キャップを外して髪を解き、サングラスを手に持っていた。 イヤリングカラーの入った髪は、風に揺れて、その先に広がっている海に負けない程、キラキラと輝いて眩しかった。 足元は、ビーチサンダルを脱いでいて、裸足でしっかりと砂浜を捕らえていた。 (どうか生きていて下さい…か) 帰りの飛行機が空に浮き上がった気圧で、鼓膜が押された時、別れ際に言われた彼女の言葉が甦ってきた。どうして『あんな言葉』を掛けてくれたのか、そんなにも悲壮感が漂う雰囲気を醸し出していたのだろうか。 死にたいと思ってしまって、最後に観たい景色があって空を飛んだけれど、あの言葉に逆らってまで生きることを諦めるのは、何となく不義理な気がした。これも運命で、良い『きっかけ』だったんだと思うことで心を納得させた。 あの砂浜から見える景色も綺麗だけれど、雲の上を飛ぶ機内から見える青空も、非現実的な空間に身を置いているワクワク感があって、最高に滾るものがあった。 『There is always light behind the clouds. 雲の向こうは、いつも青空』 『若草物語』の著者、ルイーザ・メイ・オルコットが残した格言はボクの大好きな言葉で、この風景は、まさにそのものだった。 止まない雨は無い。この状況が好転する可能性があるなら、もう一度だけ前を向いても良いのかもしれない。 広がる青空に希望を抱き、また『あの場所』に戻って来ようと静かに目を閉じた。 この街に住みたいと思った理由は、いくつかあった。 あの忌々しい空間…実家から出て行きたかったこと、初めて訪れた時に感じた運命めいた感覚、T-CAT(東京シティエアターミナル)が近くて、空港までのアクセスが良いことも要因のひとつだった。 羽田から三十分もかからずに、バスで隣駅まで辿り着けるという優越感がたまらなかった。こんな優越感を持つのは、ボクだけかもしれないけれど。 自分を見つめ直す旅は『ことのほか』効果的で、自分が本当にやりたいことを考える『きっきけ』を与えてくた。 子供の頃になりたかった職業、自分が楽しいと思えること、好きな食べ物、やり残していたこと、積み上げてきたものを捨て去ってでも守りたいもの…。 あの『アルバム』を開き進めることは未だ出来ていなかったけれど、自分の記憶に向き合おうと、一度目の休職中にお世話になった深川図書館に、約一年ぶりに足を運ぶことにした。 入って右手の児童コーナーにある『からくり時計』、二階に続くゆったりと左に旋回する階段に、レトロな手すりと照明。階段のちょうど中腹に広がる大きな窓と、左右に並んだ『ステンドグラス』。 一年前に来た時とは少し見え方が違って、胸が少しヒリついたけれど、指定席だったあの席に、適当に選んだ小説を手に取って体を預けた。 この『適当』にはボクなりのこだわりがあって、タイトルと装丁のデザインだけで選ぶという、ギャンブル要素を孕むものだったけれど、今まで選んだ本は嘘偽りなく『どれもボク好み』の作品で、その出逢いを楽しんでいた。 三月末の平日だったけれど、相変わらずほとんどの席が埋まっていて、静けさの中にも多くの人の時間が費やされているこの空間は、映画館とかライブ会場、競技場にいるかのような『熱』を感じさせるものがあった。 また良い作品に出逢えた、と喜びを噛みしめながら、作者の紡ぐ言葉に没入していると、机を挟んだ対面に腰掛ける人の姿が視界の端に入ってきた。 花が描かれたその『絵本』には見覚えがあった。 自分が楽しいと思えること、やり残していたこと、捨て去ってでも守りたいもの…。 この本を読む人は、どんな人なんだろうという好奇心は、没入していた文字の世界から、ボクを現実に引き戻すには十分過ぎるものだった。 目線を上げた先には、サングラスもキャップもなかったけれど、同一人物だとすぐに分かる姿があった。 ボクに絵本の装丁を見せつけるように、立てて読んでいる彼女と目が合うと、咄嗟に目を逸らしてしまった。 途端いたたまれなくなって、席を立ち貸出機に向かった。 貸出カードのバーコードを読み込ませて、本を貸出機に乗せて貸出点数を選び、ジャーナルに印字された貸出票を切り取って、逃げ出すように階段を目指した。席の方を振り返ると、もう彼女の姿は無かった。 悪い事をしたような気持ちになったけれど、自宅でコーヒーを飲みながら、仕切り直して小説を読もうと思い、正面エントランスを出て階段を降りた。 図書館の目の前にある『清澄庭園児童公園』から、ブランコが稼働する音がして、目を向けると、あの彼女が待ってましたとばかりに、そのブランコから降りて近づいてきた。 あの時と同じで、図書館内では『身につけていなかった』キャップとサングラスをしていたけれど、髪はおろしたままで、耳にかかる金色のイヤリングカラーは相変わらず輝いて見えた。 人違いですと言いたかったけれど、それを言わせてくれそうな雰囲気ではなかった。 一頻り周囲を見渡すと、キャップを取り、サングラスを外した。最初から外していればいいのに…なんの意味があるのか理解に苦しんだけれど、ボクの顔をしっかりと確認するように見た彼女は、ボクにこう尋ねてきた。 「聞きたいことがあるんですけど、いまからお時間ありますか?」 「いや〜、あの、これから予定があって家に帰るところなので…」 芝居がかってしまったけれど、これで話は終わると思っていた自分が甘かった。 「そうなんですか。じゃあ私も着いて行って良いですか?」 (何なんだこの()は、初対面…いや、二度目のご対面の男に着いて行くなんて、どんなハチャメチャな思考を持ち合わせているんだ…親の顔が見てみたい) 「それはちょっと…ねえ?」はぐらかすのがやっとだった。 「じゃあ『何時からなら』お話できますか?」 どうしてもボクと話がしたいらしい。もう降参するしかなかった。 「はぁ…分かったよ。じゃあ近くのカフェでもいいかな?」 「やった!」 ボク達は図書館の近くにある『角の生えた兎』がモチーフのカフェに向かうことになった。
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