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#6:Conflict.
(変じゃないかな…?)
モデルとして、色んな服を着る機会は多かったけれど、こういう時にどんな格好をしたら良いのか分からなかった。
彼はどういう服装が好みで、どんな女の子がタイプなんだろう…。
人生初デートに向かうワタシは、期待と不安で胸が押し潰されそうになっていた。
『清澄白河駅 B2出口』が待ち合わせ場所で、電車で来る彼を待つ為に、予定時間よりも十五分早い十時十五分に到着したワタシは、さっそく出鼻をくじかれてしまった。
イチョウの葉をモチーフにしたガードパイプに体を預けて、文庫本を読んでいる彼の姿があった。一体いつからそこに居たのだろう。慌てて駆け寄って声を掛ける。
「あのっ、遅れてごめんなさい」
文庫本を読んでいた彼の目にワタシが映り込むと、少し驚いたような顔をして右手にしている時計で時間を確認していた。
「おはよう。遅れてないんだから謝らないで」
確かに遅刻はしていなかったけれど、笑って「レディファーストだよ」という彼の言葉に胸が少しだけヒリッとした。
「じゃあ行こうか」と文庫本をボディバッグに仕舞い、背伸びをしてから言う彼に促されてワタシの初デートはスタートした。
彼が車道側を歩き、ワタシが守られるように隣を歩く。さっきの言葉といい、どこか女性慣れしているような言動に、ちょっとだけ嫉妬してしまう。
清洲橋通りを東に進み、三ツ目通りとの交差点を南下する。さっきまでワタシの左側を歩いていた彼は、流れるように自然と右側通行になり、ワタシを車道から遠ざける。優しさは嬉しかったけれど、やっぱり少しだけ胸がモヤモヤしていた。
美術館までの道中は、「今日も暑いね」なんて他愛もない短い会話だけで過ぎてしまったけれど、口数の少ない彼と居るこの時間は、心地が良くて不思議と安心できた。
「観ればわかる」「絶対に感動する」とだけ教えてくれた展覧会は、ワタシが想像していた以上に圧巻で壮大で、クスの大木や緑の洞窟を描いた作品は、「あのシーンで使われている」という彼の得意気な解説と合わせて観ると、その感動は何倍にも増して素晴らしいものに思えた。
いよいよ今日の目玉、あの想い出の、彼があの砂浜に行って、ワタシと出逢った『きっかけ』になった作品を目指しながら、あの日のことを思い出して緊張していた。
そこで待っていたのは、まるであの場所を切り取って描かれたかのような、美しい砂浜と海が広がっていた。
「綺麗…」
写真のようなこの一枚は『原爆詩朗読会』に協力する為に描かれた、『沖縄の海岸』という名前の作品だった。
隣で観ていた彼の顔が気になって見てみると、何かを決心したような顔をしていて、吸い込まれるように見蕩れてしまった。
「本当にあの砂浜みたいだった…」
美術館を後にしてカフェに入っても、まだ余韻にどっぷりと浸っていたワタシに、彼はアイスコーヒーの氷をストローでゆっくり掻き回しながら、あの砂浜に居た理由を話してくれた。
「引かないでね」という前置きに、少しだけ違和感を覚えたけれど、一言一句聞き漏らしたくて背筋を伸ばした。
家庭の雰囲気が悪く、部活を一年生の夏合宿での怪我が原因で辞めてからは、学校にも上手く馴染めず、団体行動も苦手だった彼は、あの作品の存在を知って修学旅行先で海に行くことを決めたらしい。
「本当は、あそこで死のうと思ったんだ」そう言った彼の顔は嘘をついていない真剣なもので、何と言葉を返せば良いか分からなかった。
「えっ……」
「でも、波のすぐ近くまで行った時に、ローファーが置いてあるのが目に入って、見たら君が座っていたんだよね」
真剣だった彼の表情は、少しだけ笑顔を取り戻していて、あの日の話を続けてくれた。
「海を眺めている君に見とれちゃって、気が付いたらローファーを持って君のそばに立ってた」
「うん…」
こんな相槌を打つことしか出来なかった。
「急に立ち上がって僕の方を見たから、ちょっとびっくりしちゃって」
そう言って『はにかむ』彼は、ついさっき「死のうと思っていた」と言った人とは思えなかった。
「確かに、ちょっと間があったよね」
あの時のことを思い出しながら、落ち着いて、明るくなり過ぎないように返事をした。
「そうそう。見とれちゃってたし、不審者だと思われたかもって不安で」
そう言って頭をかく彼の仕草は、たまらなく愛おしくて胸がときめいた。
「ぜんぜんっ、不審者だなんて思わなかったよ?それに…その…嬉し…かったし…」
自分の気持ちを伝えるのは恥ずかしかったけれど、『死のうと思った』ことを打ち明けてくれた彼に対して、正直な気持ちを伝えないことは不公平な気がした。
「だから、あの時は本当にありがとう」
彼は頭を下げて、感謝の言葉を口にした。
(そういえばウチの店に来た時にも「ありがとう」と言ってくれていたっけ)
「あの時に君が居なかったら、たぶん僕は海に入って死ぬことを選んでいたと思う。君が居たから死なずに済んだし、それに…その…君に出逢えたから、生きようと…思ったんだ…」
この人は何を言っているのだろうかと、理解するまでに時間がかかったけれど、分かると急に顔が赤くなって、体温が上昇して心臓が激しく音を立てていることが分かった。恥ずかしくなって俯いていると、彼も顔が赤くなっていて、恥ずかしそうに提案してくれた。
「だから…あのっ…それでっ…そのっ…、よかったらまた一緒に、こうして二人で会ってもらえると…嬉しい…ん…だけど…」
最後は自信なさげに口ごもっていたけれど、ワタシも同じ気持ちだった。
「こちらこそ…その…お願いします」
また彼と会えるんだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
こうしてワタシたちは、次に会う約束をして、初めてのデートは終わりを迎えた。
駅で見送った彼は、階段の下で振り返ってワタシに手を振ってくれた。
『ささやかな』その行動が嬉しすぎて、ワタシも手を振ってそれに応えた。
お揃いで買った『沖縄の海岸』のポストカードを眺めながら帰る家までの道程は、夕陽でキラキラと照らされていて、まるであの砂浜で見た景色を見ているようで、とても美しかった。
初デート翌日の撮影日、瞳さんは何かに気付いたかのように、カメラから目を離すとワタシに聞いてきた。
「花ちゃん、何か良いことでもあった〜?」
(そんなに分かりやすくニヤけてたかな…)
瞳さん曰く、ワタシは顔に出やすいタイプらしい。
「何もないですよ?」
とは言ったけれど、瞳さんはモデルの撮影を生業としているプロのカメラマンだけあって、たくさんの顔を撮っている経験から、他人には分からないような、表情の微妙な変化を見逃さない鋭い眼を持っている人だった。
母や妹と喧嘩した後も「何かあった?」と指摘されることが少なくなかった。
「まぁ、今回は良い顔してるから問題ないけどね〜」
そう言われて安心したけれど、両手で頬を叩いて気合いを入れ直した。
(そういえば、瞳さんは『どんな男性』がタイプなんだろう)
その疑問が、ふと頭に浮かんだ。
夏休み中で現場に来ていなかった美咲さんが居ないことがチャンスだと思い、男性との交際についての参考にしたいという気持ちと、単純な興味本位で瞳さんの恋愛観について聞いてみることにした。
「あのっ、瞳さんは、どんな男の人がタイプなんですか?」
目を丸くしている瞳さんを見るのは初めてで、それだけで良いものが見れたと思ったけれど、瞳さんはこう続けた。
「ん〜と、それって恋愛でってこと?それとも友達としてってことかな?」
その言葉の意味は分からなかったけれど、ワタシが聞きたかったのは『恋愛対象としての』それだった。
「えっと、恋愛でって意味です」
「あ〜…」と言う瞳さんの口から出た答えは、意外なものだった。
「私、男の人が恋愛対象じゃないんだよね〜」
女子校に通うワタシにとっては、そこまで驚くような話ではなかったけれど、こうしてリアルに話を聞くことは初めてだったので、聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいで、バツが悪くなってしまった。
「ごめんなさいっ。変なことを聞いてしまって」
「いいよいいよ〜」と笑う瞳さんは、そのまま話を続けてくれた。
「好きになる人は、誰にでも優しくできる人かな〜。私だけじゃなくて、他人にも優しく手を差し伸べてあげられる〜みたいな」
それって瞳さんみたいな人のことだなと、ワタシは思った。男女問わず、誰にでも優しく接して仕事をしている瞳さんの姿が思い出された。
(瞳さんの想い人は、この世に存在するのかな?それって聖人君子…いや、聖女のような人なんじゃないのかな?)
「素直に『ありがとう』と『ごめんなさい』を言える人って、意外と少ないんだよ〜」
そんなものなのかな。少なくとも彼は、素直に感謝の言葉を伝えてくれたし、お詫びにと美術館にも誘ってくれた。それに、自分の抱えている闇のようなものもワタシに打ち明けてくれた。
きっとそれは、瞳さんが言うように希少なもので、素敵なことなんだなと思うことができた。
「ありがとうございました。あの…美咲さんに聞くのは、少し申し訳ないというか気が引けてしまって…」
「そうだね〜。サキも一時期は男性不信みたいになった時があったし、親友としてサキを気遣ってくれる花ちゃんの優しさは素直に嬉しいよ〜。ありがとね〜」
優しい人から優しさを褒められることは、本当に嬉しかった。
「でもね、何かあったらサキに相談してあげてね。あの子は一番近くで花ちゃんのことを見てくれているんだから」
「はい、必ず!」
家族以外にも相談出来る相手がワタシには居る。そう思うと心強くて、嬉しいことがあれば、美咲さんと瞳さんに最初に話そうと心に誓った。
【指定校推薦の校内選考に通った】と彼からメールが届いたのは、夏休みが明けて九月も終わりに近づいた頃だった。
予備校に通っていた彼とは、二週間に一度の秘密の逢瀬を重ねていて、指定校推薦で大学合格を目指したいと話をしてくれていた。
【おめでとう!私も嬉しい!今度お祝いしなきゃだね!】
ワタシも自分の事のように嬉しかったし、素直にお祝いをしてあげたかった。
【ありがとう!じゃあいつものカフェに行こう】と言う彼の提案に任せることにした。
東京都現代美術館から歩いて五分程の場所にある、隠れ家みたいなカフェが二人のお気に入りで、『クロッシュ』というクロワッサンがプレスされた、甘みのある生地を使ったサンドイッチと、『長崎チーズケーキ』が、ワタシたちの定番だった。
そこで他愛もない会話をしたり、二人揃って文庫本を読んだり、会話がなくても自然体で過ごせる時間は、ワタシの心の栄養補給には欠かせないものになっていた。
「そういえば、いつもコッチに来てくれるよね」
そんな質問に、彼は表情を硬くしてしまった。彼が生まれ育った街を見てみたかったけれど、「良い思い出が無いから、二人で行っても楽しめない」という彼の気持ちを尊重した。
それにしても、彼はワタシが住むこの街が大好きになってしまったみたいで、大学を卒業したら絶対に引っ越すと言ってくれていた。素直に嬉しかったけれど、ふとワタシたちの関係って、どういうものなんだろうと不安になってしまった。
(恋人……ではないし、友達なのかな?)
異性の友達なんて居たことがなかったのに、彼とは普通に話をして、普通に連絡も取り合って、二人きりで何度も遊びに行っていた。けれどこれが何なのか冷静に考えると、何と表現していいのか分からない状態になっていた。
少なくともワタシは、異性としても人間としても彼のことが大好きだったけれど、彼がワタシのことをどう思っているのか考えると、あと一歩踏み出す勇気を出せずにいた。
もし告白してフラれたとしても、この関係性が続けば良いけど、気まずくなって会えなくなってしまうことが嫌だった。
そもそも彼に彼女が居るのか居ないのかすら、ハッキリと聞いていなかった。
女性慣れしているような言動を、度々見せてくれる彼には彼女がいて、ワタシより先に校内選考の話を聞いていて、素敵なお祝いをしてくれているんじゃないか…。
そんな想像をすると、胸がヒリついて、真実を聞くことが怖くて堪らなかった。
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