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夜風が頬を撫でた。ひんやりと気持ちがいい。ひかるは体感温度の変化を感じ、目を見開いた。
どこかのビルの屋上にいる。ゼノの姿はなく、ひかる以外には誰もいない。
手にしていた靴を履いた。持橋町の夜の静寂の中、港の方角を向く。新月から二日目の海は漆黒に染まり、空には雲が広がっていた。
ちょうどその時、後ろに人の気配を感じ、振り向くと確かに人が立っていた。頭の先からつま先まで真っ黒で、色白の顔は秀麗である。
「ディー・レイブンズワース」
ひかるがその名を呟き近づくと、逆に彼は一歩後ずさった。拒絶されたことが意外で呆然と立ちすくむ。しかしそれは早合点だった。
ディーは片膝をついて頭を下げた。まるで主君に跪くように、彼は顔を上げようとしない。
ひかるはディーのそばまで行き腰を下ろす。すると彼は静かに顔を上げた。
間近で彼の素顔を見るのは、魔獣から助けてもらったとき以来だった。そして夢の中で見た青年よりも生気に欠けている。喜怒哀楽の感情を示さない美しい人形のよう。そんな彼を見ていると、ひかるはどういうわけか泣きたい衝動に駆られた。しかし我慢して、無理やり両の口角を上げる。
「この前、お礼言ってなかったよね。助けてくれてありがとう」
そして明朗に微笑んだ。やはりディーは無表情で、無言でひかるを正視する。
「私、貴方の事を知りたいんです。教えてほしいんです。だから私と話をしよう」
ひかるは胸の鼓動が大きく打ちつけるのを感じた。彼を見ていると、何か絶対に手の届かないものに焦がれて思いを馳せているような気持ちになる。
するとディーは掌を差し出した。やはりあの時のように、ひかるが手を取るまで待ち続けている。彼に支えられて立ち上がった。
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