思慕と追憶

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「どういうこと?」  記憶を遡行すると、深夜の屋上でディーと二人で会話し、襲われたところまでちゃんと覚えていた。 「よかった。もう記憶が飛ぶなんてイヤだよ」  それにしても、何が起こったのか全く把握できない。ふと視線を落とすと、ベッドの下に靴があった。まるで誰かが脱がして置いたかのように残されている。 「ゼノ? ディー?」  呼べば姿を現すかと思いきや、一向に気配が感じられない。  リビングに出たひかるは、父を呼んだ。だが返事がなく、部屋をノックしても応答がない。入ってみると父はおらず、家の中をあちこち探してもどこにもいなかった。  どうも得体の知れない違和感が漂う。静かすぎるのは家の中だけではないと気がついた。鳥のさえずりも、車の音も聞こえない。  靴を履いて外に出た。ひかるは「永原」という表札を眺めながら、左右を見渡す。さすがにおかしい。ひとりの人もいないだけでなく、日常の喧騒も耳に入らない。まるで空っぽの部屋の中にいるかのようだった。  気味が悪くなり、落ち着かなくなったひかるは勢いよく駆け出した。  近所の公園は閑散としている。通い慣れたコンビニも無人で、店内には音楽も流れていない。路上には車の一台も通らず、信じがたいことにひかるは持橋町に一人きりだった。 「……なぜ?」  ひかるは喉が詰まるような痛みを覚えた。ひどく胸騒ぎがして、次第に呼吸が乱れてゆく。涙で視界がぼやけたその時だった。  背後に何かの気配を感じて、振り返った。
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