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私が遭遇した事件はこれまでに四つあり、そのうち一つは私のバイト先で起きた。 何を隠そう父の生殺与奪の権利を、私はこの手に握っている。 ご近所や職場で「仏のシゲさん」を演じている父の黒い部分は、二つ名を「カスハラの喜多村」という。 カスタマーハラスメント。 企業に迷惑をかける恫喝的人間のことだ。 特に若い女性店員にとっては、心悩ます原因となる存在である。 父は「仏のシゲさん」を演じるために、いらぬ我慢を色々してるのかもしれない。 その捌け口に、企業を恫喝し、謝罪させて喜んでいる。 想像だけど、自社の社長や部長から厳しく怒られてるんじゃないかな。 「仏のシゲさん」としては部下にもきつく言えないし、溜め込んでいるんじゃないかな。 妻や娘には嫌われたくないし、あくまでいい人だと思われたい。 だけど蓄積した恨みのようなものがあって、どこかで発散しないといられない。 そんな感情が、カスハラに向いてしまったんじゃないかと思うのだ。 父の黒い一面を知ったとき、不思議と私は驚かなかった。 だって娘から見て、「仏のシゲさん」は嘘くさかったから。 父はニコニコしながら、目の奥が笑っていない。なんだか黒目の中に黒い悪魔がいるようで、うまく言えない怖さがあった。 私が幼い頃、「蟻は踏まれるために生きている」と言った父の言葉は、子供心に強烈だった。 特定の店に行くと、父は「また来たよあの人」的な目で見られる。 私がそれに気づいたのは、私のバイト先でもそう見られていると知ったから。 ある日職場のチーフが、「喜多村さん、あの人知り合い?」と聞いてきた。 「はい、父です」と答えた私に、チーフはバツが悪そうに「じゃあ訴えらんねえな」と言った。 詳しく聞けば、度々会社を恫喝していて、警察に突き出すという話も出ているらしかった。 「喜多村さん、親父さんに言ってくれないかな。ウチの会社は怒ってるって」 とりあえず生殺与奪の権利を与えられ、一週間の猶予をもらった。 きっと他の企業でも警察沙汰になる手前なのだろう。
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