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第7話 わがまま坊ちゃん
今日こそは、他人に流されやすく浅慮なジュールを改心させようと、クリストフは王都のコルベール邸を訪ねた。
「ジュール・コルベール。今回もやらかしてくれたな。お前の尻拭いをするのも、いい加減うんざりする」クリストフは苛立ち、髪に手を差し入れてガシガシとかいた。
「尻拭いなんてしてくれなくっていい。俺は悪く無いんだ」ジュールはムスッとして、そっぽを向け不満そうに言った。
「コルベール侯爵は、お前をどうしたものかと頭を抱えている。今度問題を起こしたら、どうなるのか分かってるのか?叱責されるどころか、家を追い出されるかもしれないんだぞ」クリストフは威厳ある声で諭すように言ったが、その声には優しさが馴染んでいた。クリストフにとって、ジュールは愛おしい再従兄弟なのだ。
ジュールは、もう18歳になるが、彼には母性をくすぐる何かがあるようで、幼い頃から歳の離れた3人の姉に、甘やかされて育ってしまい、我儘が過ぎる息子に、コルベール侯爵は頭を抱え、大公国を問題なく統治しているクリストフに、息子の教育を依頼した。
「俺は、あの悪女を懲らしめてやっただけなんだから、問題にはならない!クリスがおかしいんだ、あんな女に優しくするなんて!」
「なぜ悪女だなんて言うんだ?お前は彼女のこと何も知らないだろう。あの日、初めて会ったんじゃないのか?」
「あの女は奴隷を買って虐げてるんだから、悪女に決まってるだろう」
クリストフは大きなため息をついた。何度言い聞かせても、噂話を鵜呑みにしようとする。どうしたらよいものかと、クリストフは頭を悩ませた。「虐げるところを見たのか?」
「見てはないけど、事実だよ。みんなが言ってる」
「実際見たわけではないんだろう?それなのに、皆が言っているというだけで、お前はそれを信じるのか?人は嘘をつかないとでも思っているのか?」
「そんなことは分かりきってるよ。でも今回はクリスが間違ってる。あいつは悪女なんだ。見ればわかるさ」
「だから突き飛ばしたのか?悪女なら暴力を振るっていいのか?怪我をさせても構わないのか?」
「あんな女に手を差し伸べてやる必要ない、自業自得なんだから。それに、俺が転ばしたんじゃないぞ、ちょっと押したら、あいつが勝手に転んだんだ。俺は悪くない!」
「なあ、ジュール。それじゃあ、実際シュヴァリエ邸に行ってみないか?実際奴隷がいたら、俺が間違っていたと謝ろう」
「いいぜ!そうだ、実際行ってみればいいんだ。そうすれば、お前もあの悪女の本性に気づけるよ」
「そうだな。今から行ってみよう」クリストフは、事前にジュールを連れて行く、必ず謝らせると、マリアンヌに伝えておいた。
マリアンヌは謝る必要はないと言ったが、 ジュールのために、できれば、協力して欲しい。過ちを認め、自分の行いを反省させたいと、クリストフはマリアンヌに図々しく頼み込んだ。
そこまで言うのならと、マリアンヌはこの茶番劇を快く引き受けてくれた。
クリストフとジュールが、王都のシュヴァリエ邸を訪れると、マリアンヌが出迎えてくれた。
「ようこそお越しくださいました。テラスに席を設けさせていただきましたので、ごゆっくりお楽しみください」
「媚を売ろうとしたって無駄だぞ、今日は、お前の本性を暴きにきたんだからな。クリスは騙せても、俺は騙されない」ジュールはズカズカと庭園に足を踏み入れた。
「すみません」クリストフが申し訳なさそうに、マリアンヌに謝った。
「大丈夫ですよ」マリアンヌはクリストフを、気の毒そうに笑った。
シュヴァリエ邸の庭は、天国にでも迷い込んだのだろうかと思うほどに美しかった。
「これは……素晴らしい庭園ですね」クリストフは感嘆した。
「ありがとうございます。うちには、とても腕のいい庭師がいるのです。ちょっと口が悪いのですけどね。花が最も美しく咲く方法を知っているようなのです」
「それは、素晴らしい、その庭師に会ってみたいですね」前回ヴィンセントを紹介したときのように、何かしら意図があってのことなのかなと推察したクリストフが言った。
「今は、話し方の特訓中なので、いずれ紹介させていただきますわ。どうぞ、お掛けになられてください」マリアンヌは、テラスの席を勧めた。
「邸宅の中を案内しようとしないのは、中は悲惨だからか?虐げてる奴隷でもいるのか?」ジュールが訝しそうに訊いた。
「庭を見て頂きたかったからです。今度、王都で開かれる、庭師のコンテストに参加する予定なのです。貴族票は、点数が高いと聞きました」マリアンヌが答えた。
「では、私も1票入れましょう。これほど美しい庭を作れるのだから、コンテストが楽しみだ」やはり、意図があったようだと確信したクリストフは、マリアンヌの心を読めたことに、満足した。
「ありがとうございます。フィービーも喜びます」
ヴィンセントがケーキを運んできた。
「やあ、ヴィンセント。今日も君のケーキが食べられるのかな?楽しみにしていたんだ」クリストフは心から喜んだ。
「本日は、シャルロット・オ・ポワール、ガレット・デ・ロワ、タルトシトロン、ミルフィーユ、それから、プティフールとパート・ド・フリュイを、ご用意いたしました」ヴィンセントは、皿に綺麗に飾りつけられたケーキを、一つ一つ手で示して紹介した。
「ジュール、彼が作ったケーキは、感動するぞ。食べてみろ」
ジュールはマドゥレーヌを1つ口に放り込んだ。「——確かに美味いな」
「彼は王都の3番街に、店を出店する予定なんだそうだ」
悪女の証拠が見つかったと思って、ジュールは喜び勇んだ。「へー、この家から逃げるのか、この女に虐げられてるからなんだろう?俺が守ってやるから、本当のことを言ってみろ」
「マリア様が、お店を借りてくれました。僕の作ったケーキを、たくさんの人に食べてもらいたいからって、独立資金を援助してくださったんです。経営の勉強もさせてくださいました。マリア様は、お優しい方です」
「は?そんなわけあるか、なんでこの女が……そうか、分かったぞ。王都で働かせて、金を巻き上げる気だな。お前、騙されてるぞ」ジュールは、マリアンヌの企てを見抜いてやったと言わんばかりに、したり顔で言った。
「ヴィンセント、君がここで働くことになった経緯を、教えてくれるかい?」クリストフが訊いた。
「僕の父は大工だったんですけど、仕事中の事故で死んでしまいました。それからは、母と2人で暮らしていました。ある日、母が病気になってしまって、僕は、お医者様を連れてこようとしたんですけど、誰も僕の話を聞いてくれなくて、途方に暮れていた時に、マリア様が声をかけてくださいました。それで、お医者様も呼んでくださったんですけど、母はもう亡くなっていて、助かりませんでした。僕が泣いていると、マリア様が、一緒に暮らさないかって、仰ってくださったんです」
「話してくれてありがとう、ヴィンセント。なあ、ジュール。お前には、この子が奴隷に見えるのか?虐げられているように見えるのか?俺には、健康的に見える。きちんとした服を着ているし、マリアンヌ嬢を怖がっているようには見えないんだ」
「それは……」思っていた展開と違っていて、ジュールは戸惑った。
「彼女は奴隷を買っているんじゃない。子供を保護しているんだ。彼らを見て分からないか?クロエも、エミリーも、マリアンヌ嬢を慕っているように見えないか?」
「だって、こいつは悪女だって、みんなが……言うから」ジュールはバツが悪そうにした。
「謝るんだ。お前は事実無根の噂に踊らされ、彼女に暴言を吐き、暴力を振るったんだ。誠心誠意、謝罪しなさい」
「……申し訳ありませんでした。俺が間違ってました。酷いことを言って傷つけてしまった。突き飛ばしてごめんなさい」ジュールは悄然として頭を下げた。
「申し訳ないと思っているのなら、庭師のコンテストで、フィービーに1票入れてください。そして、ヴィンセントの店に、足繁く通ってくださると嬉しいです」マリアンヌは、項垂れるジュールが、まるで、やらかした時の子供たちみたいだと思って、クスクスと笑った。
「でも、俺、怪我をさせてしまった」ジュールは、泣きそうな顔で言った。
「怪我はしていませんし、高いヒールに慣れなくて、転んでしまっただけですから、気にしないでください」10歳も年下のジュールを、マリアンヌは、可愛いと思った。弟のように思っているクリストフの気持ちがよく分かった。
浅薄な従兄弟のベルナールとは違って、彼はただ、素直なのだ。人に騙されやすい。だから心配するし、世話を焼きたくなる。放っておけない少年だとマリアンヌは思った。
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