第4話 トラブル

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第4話 トラブル

 今日の舞踏会は、決して負けられない理由があった。シュヴァリエ領に、冬季の間、長く滞在してくれる、今は亡き父の親友であるヴァイヤン侯爵が、マリアンヌのために開いてくれた婚活舞踏会だったからだ。  精一杯着飾ったマリアンヌは、今日こそはと、頬を両手でパンパンと叩き、気合を入れた。  心ない言葉を投げつけられても大丈夫。噂なんか信じないで、本来の私を見てくれる人が、どこかにいるはずよと、自分に言い聞かせた。  馬車から降りたマリアンヌが、夕陽に染まったヴァイヤン侯爵邸へ向かって、美しいシンメトリーの前庭を歩いていると、男性が近づいてきた。 (ほら、やったわ。きっと私の噂を、でっちあげだと信じてくれたのね)  だが、マリアンヌが期待していたような展開にはならなかった。 「お前が、奴隷をいたぶって面白がっている、頭のおかしな女か?クリストフに言い寄っているらしいじゃないか、あいつは俺の親友で、お前ごときが話しかけていい男じゃないんだぞ。身の程をわきまえろ!」 「大公殿下は、私を哀れんで下さっただけだと、重々承知しております。ご迷惑をおかけするようなことは、ございません」 「ハッ!悪女は殊勝な演技くらい、お手のものか?いいか、これは警告だ。今後クリストフに近づいたら、ただでは済まさない。お前を必ず抹殺してやるからな、肝に銘じとけ!」  マリアンヌは、弁明したかったが、これ以上事を大きくすれば、人が集まってきてしまう。ヴァイヤン侯爵に迷惑をかけるわけにはいかないと思い、ただ黙って、その場を立ち去ろうとしたが、彼はマリアンヌの肩を突き飛ばした。  地面に尻もちをついたマリアンヌは、何が起きたのか分からず、唖然としていると、彼は不愉快そうに顔を歪めて、マリアンヌを罵倒した。 「ただちょっと、押しただけだろうが、か弱いフリをしてみせるなんて、愚かな女だな。そんなことしたって、どうせ、お前のことなんて、誰も見ていないんだから、助けてくれる奴なんていないぞ。そこで惨めに跪いてろ」  クロエがマリアンヌに駆け寄った。「マリア様、大丈夫ですか。お怪我はないですか」クロエは、マリアンヌを突き飛ばした男を、睨みつけた。「突き飛ばさなくたっていいじゃありませんか。マリア様がいったい何をしたっていうんですか!」 「クロエ!やめなさい!」マリアンヌは、クロエを叱った。  貴族に使用人が口ごたえしたのだから、クロエが処罰されてしまうかもしれないと、マリアンヌは焦った。  彼は腕を組み、軽蔑の眼差しで言った。 「主人が主人なら、侍女も大概だな」 「ジュール!何やってる!」クリストフが騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた。 「何って、俺はこいつに、身の程をわきまえろと、教えてやっていただけだ」ジュールは、口の端を持ち上げて笑い、良いことをしてやったと言わんばかりに、胸を張って言った。 「お前が身の程知らずだ!女性を突き飛ばすなんて、何考えてる!」クリストフは、ドレスの裾が邪魔をして、立ち上がれずにいるマリアンヌを抱き上げた。 「突き飛ばしたんじゃない!ちょっと押したら、そいつが勝手に転んだんだ。俺は悪くない」ジュールは拗ねたように言った。 「マリアンヌ嬢、私の馬鹿な友人が、申し訳ないことをしました。屋敷まで、お送りしましょう」クリストフはマリアンヌを抱いたまま、馬車に向かって歩き始めた。 「大公殿下、私は大丈夫です。本当に転んでしまっただけで、怪我をしたわけでは、ありませんから、下ろしてください」何ごとだろうかと人が集まってきてしまい、皆の前で醜態を晒してしまったことに、マリアンヌは顔を青くした。 「それはいけません。ドレスに泥がついた状態で、女性を歩かせるわけにはいきません。少しだけ辛抱してください」なるべく人目に晒されないようにと、クリストフは足早に、デルヴォー伯爵の紋章が刻まれた馬車へ向かった。  昨晩から、今日の昼頃まで、雨が降り続けていたせいで、地面にはぬかるみができていて、マリアンヌのドレスは泥だらけだった。 「これでは、大公殿下が汚れてしまいます」マリアンヌは申し訳なさそうに言った。 「私は男です。汚れるくらい、何ともありません」クリストフは、茶目っ気たっぷりの笑顔を、マリアンヌに向けた。  馬車にマリアンヌを座らせ——クリストフが長い足で、足早に馬車へ向かうから、クロエは小走りで後を追った——クロエに手を貸して、馬車へ乗せようとするクリストフに、ジュールは不満そうに言った。 「おい、クリス、そんな奴ほっとけばいいだろ。泥の中がお似合いだ」ジュールはふんっと鼻を鳴らした。 「ジュール、お前には後で話がある。たっぷりと説教してやるから、覚悟しとけよ」クリストフは、そう言い、自分も馬車に乗り込んだ。「すみません。あいつは、昔から考えなしに喋るところがあって、改めるようにと言い聞かせているのですが、自分は悪くないと言うばかりで、なかなか直そうとしないのです」 「懇意の間柄なのですね」 「弟のように思っています。彼はジュール・コルベール。カステルノー侯爵令息です。私とは再従兄弟の関係にあります。あなたに無礼を働いてしまったこと、私からも謝ります。本当に申し訳ありませんでした。本人には、後でしっかり叱って、後日、必ず謝罪に行かせます」 「お気遣いありがとうございます。ですが、謝罪など必要ありません。少し、誤解があっただけです。こちらも、侍女が無礼を申してしまいましたから、お互い様です」 「あなたが、優しい人でよかったです」ジュールは暴力を振るったのだから、通常ならば訴えられてしまうところだが、事を収めてくれたマリアンヌに、クリストフは胸を撫で下ろした。
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