俺たちの兄貴

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俺たちの兄貴

「俺は本を読んだり音楽を聴いたりするだけだけど、兄貴は本も書けるし音楽も作れる」  森はフェリに背を向けたまま、南風に髪をなびかせたまま立ちすくんでいた。 「……趣味だよ、趣味」 「趣味にしては、随分立派な研究をしてるんじゃないか?」  森が肩にかけているトートバッグには教科書・ノートの他に、名作曲家が著した音楽理論の参考書や、何社もの文芸雑誌が詰め込まれている。持ち上げてみると、まるで筋トレ器具のように重い。 「俺たち普通の学生には、できっこないよ。小説も曲も、書けるとは到底思えない」 「できるよ。フェリだって、英語喋れるじゃん。俺には出来っこないよ」 「それは、そういう環境で育ったからだ。兄貴は、そういう環境で創作に勤しんでるんじゃないのか?」 「……」  両親は、自分に対して何かを期待することはしなかった。それは決して愛情が無かった訳ではなく、息子の溢れ出るエネルギーにすべてを委ねていたからである。学力レベルを重視しないナウス国際高校に入学した時や、小説や曲を書き始めた時、親からの反対はなかった。むしろ、その道を進むためのアドバイスや豆知識などを授けられた。  その加護は、今でも続いている。 「やろうと思えば、誰だってできるよ。執筆に作曲くらい……」  褒められたことが嬉しいような、あるいはそんなことで満足していては仕方がないような、複雑な気分に飲み込まれていた。 「ならないよ。俺らはそういう風に育ってないんだ。だからお前のことを見上げて、兄貴って呼んでるんじゃないか」  フェリは森の肩に手を置いた。 「兄貴……」  森は振り返った。フェリは柔和な笑顔で、こちらを見つめている。何か、遥か遠くの景色を望んでいるようにも見える。空の色が少しずつオレンジの割合を増していき、世界が単一のものに変わっていく気配がした。目指すべき道は、ただ1つに絞られていった。  フェリは、森の目を見て言った。 「兄貴は、兄貴でしかいられない。応援してるぜ」  フェリの目は力強く推すわけでもなく、またお世辞で言っているようにも見えなかった。ハッキリと、言葉の通りの目を見た森の心は、わだかまりをあっという間にほどいてしまった。  そしてフェリは、校庭の真ん中あたりを指さした。森がそこに視線を向けると、体育教師が腕を組んで仁王立ちをしていた。 「あ……罰走」  森は慌てて校舎の中に駆け込み、更衣室へと向かっていった。  フェリは、上履きに履き替えて廊下の奥に消えてゆく森を見届け、兄貴は結局、兄貴として存在するしかないんだな、と思いながらレンガ造りの校門をくぐった。
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