【寂しい夜のこと】

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【寂しい夜のこと】

体調が安定しても、むしょうに不安になるときがたまに訪れる。 心配性な星に弱音を吐きたくないのだが、言葉にする代わりに、葉はその大きな厚い胸にそっと身を寄せた。すると彼はたくましい腕でこの身を抱いてくれ、黙って身体を撫でてくれる。 疲れていても眠たくても腹を空かしていても、星には葉がいちばん優先すべき存在である。葉の痩せた身体に浮き上がる骨ばった部分や、冷たくなりやすいところや痛みやすいところを、星はこの暮らしを経てすっかり熟知していた。だからどこをどう触れば彼の身体が癒されるのかもわかっている。 だが、肉体の不調よりも不定期に訪れる彼の心の波は、そのときがやって来ないとわからない。きっと明日にはまたガクンと具合が悪くなるのかもしれない。こういう日は、不調の前触れであることが多い。外には冷たい夜風が吹きすさび、窓がガタガタと揺れる。洗濯池の凍てつくような寒さを思うと、この部屋はあたたかくても身震いしそうになる。 「晴れたら列車に乗って、樫の作ったレールの上を走って、ヒロの作ってる船を見に、海に行こうな。海の方がたくさん光を浴びれるぞ。そうすればカラダもあっという間に熱くなる。汗だくになるほど。」 「………。」 葉がほほえみながら星の顔を見上げ、小さくうなずいた。やがてその顔が胸から首筋へと移動し、葉が膝立ちになって星の身体を強く抱きしめた。だから星もその細い腰に腕に右腕をまわし、左手で背中を撫でてやる。やがて葉がそっとくちびるを寄せてきたので、それに応えて深く口付ける。しかし彼の無言の要求を拒むように、星はくちびるを離すとささやいた。 「今夜は無理しないで寝るんだ。……明日も元気だったらにしよう。」 だが葉は小刻みに首を振り、自分の寝巻きの帯をそっと外した。「葉。」と名を呼んでその手を握っても、彼は脱ぐのをやめない。ふつうの夫婦のように、したいときに好きに抱ける身体ではない。だから星はずいぶん長いあいだ悶々と我慢していたせいか、頭ではこんな身体に無理をさせたくないと思いつつ、あらわになった肌を見るとどうしても理性との葛藤になる。 生活の中で、セックスを満足にできないことに物足りなさはあるけれど、今はとにかく彼が毎日少しでも元気にしていればいい。だが星がそう思っても、葉にはそれが不満なのだ。自分のために我慢させていることが、何よりも心苦しいことなのだと涙を流しながら言われたことがある。 それから……身体ではなく、心で肉体のぬくもりを求める日があるのだとも言っていた。 それはこんなふうに、説明のつかない寂しさを感じる夜。目に見えない闇にのまれるかのような恐ろしげな夜。そんな夜には、孤独を感じる余裕もないほどに激しく抱かれ、恐怖を打ち消すほどの熱を与えられたいのだ、と。 だがそんなことをすればきっと動けなくなってしまう。星は怖かった。いつだって優しく動くだけで、そのたった1度ですら恐々と怖じ気づきながらして、果てても尚し足りないときもあるが、なんとか我慢して無理やり終わらせる。もう1回しても平気だと言われたって、ぐっと堪えて眠るのだ。 葉はそれにも不満を抱いていた。優しい気遣いのようなものには感謝しているが、もう少し自分を信じてほしいとも思っていた。以前菊から夫とのセックスの話を聞いて、それからずっとうらやましさを感じている。人と比べることではないけれど、もしも健康な肉体を持っていたら、星は菊の夫のように、自分を本能のままに求めてくれるのだろう。 さまざまなことが積もり積もって、寂しい夜は廻ってくる。 だが寂しさの原因はセックスのことではない。こればかりは原因がよくわからない。ただ、この気持ちに陥ると、目の前にいる星のことが愛おしくてたまらなくなる。船などに乗ることなく、永遠にこの世界にふたりきりでとどまっていたいとすら思えてくる。その愛おしさが限界値まで達するから、激しく抱いてほしいのだ。溢れる気持ちを少しでもしずめるための手段とも言える。性欲などは微塵も沸きおこらない。ただひたすらに彼の激しさを受け入れて没頭する中で、いっときでもあらゆる面倒なことを忘れ去り、シンプルに肉体を介して、愛し愛されていたいのだ。 星のペニスを布越しに触り、葉はくすりと笑った。男としては理性的な部類でも、大事なときに反応してくれない男などおもしろくない。……これは、菊の言葉である。かわいそうだから、という気持ちに負けてほしくない。欲しがるときにきちんと与えてほしい。そして彼の方でもきちんと欲しがってほしい。 少し恥ずかしがりながら、星が静かに葉を横たえさせる。覆いかぶさるように重なってキスをし、首筋を舐めたり、乳首を吸ったりする。愛撫というより、ここには本能的に口をつけてしまうようだ。脂肪のない薄っぺらでつまらない胸のはずだが、星はだんだん夢中になっていく。葉は乳首を吸われても特に気持ち良さはないが、彼が甘える姿を見ているのが好きだった。変な感覚にはぞわぞわとなるが、まるで乳の刺激に触発されるかのように、やがて星を受け入れる場所が少しずつ熱を持って疼いてくる。 「んっ・・・・」 どこをどう触ればいいのか熟知しているというのは、葉の肉体の表面のことだけではない。節くれだった星の太い指でも、葉を痛めつけずに中に入り込める。キスをしながら指をゆっくり挿入していき、いちばん触れたい奥まではいかずに、腹の方をゆっくりと圧迫する。葉はそれが良いとは口にしないが、彼の肉体が訴えることは皮膚を介して伝わってくる。 「熱いね。」 「熱い?」 「うん。熱い。すごく。」 「星くんの指の方が熱いよ。」 「……そうかな。」 「あっ……」 ほどよくなったなと感じたところで、指を引き抜き、くちびるを当てた。桃色の粘膜に舌を差し込み、中の熱の正体をさぐるように吸った。葉の肉体の味がして、星のペニスはもう抑えきれないほど張り詰めている。顔を上げると葉は身構え、身体の上に覆いかぶさると、頬を少し赤くしてささやいた。 「たくさん、好きなだけ動いて。」 「うん……。」 亀頭を押し当て、ゆっくり、恐々と挿入する。葉のくちびるから漏れる吐息。痛みに耐えているのかと不安になる。 「ああ、熱い……」 眉根を寄せ、星が情けない声を出す。 「……星くんが熱いんだってば。」 後頭部を撫で、耳にキスをしながらささやく。 「痛くない?」 「痛くない。」 どんどん押し進め、細い身体を抱く腕にも力が込められる。 (ああ・・・・) 男でも女でもない病身から、ふつうのメスに変わる瞬間。もっと中まで入ってほしくて、ねだるように自分から押し付ける。星もそれに応え、奥に到達すると軽く突きながらさらに深いところを目指した。 「あっ、あっ……んぅ、んっ……」 力強い星の腕の中で、突かれるたびにか細く鳴く。星はまだ優しく突いているが葉はすでに精いっぱいで、不意に奥深くまで入り込まれると、ビクンと身体を震わせた。しかしだんだんとその奥深くばかりを突かれるようになると、葉は絶え間ない衝撃にとうとう涙をこぼした。その泣き濡れた目を見て「いけない」と思うのに、久々に味わう愛妻の肉体の感覚に神経を支配され、もう理性には歯止めがかからなかった。 「葉、ごめ……止まんない……我慢できない……」 「いい、いいの……あっ、あぁ、…我慢しないで…んっ…もっとして……」 葉の病身を思い耐え忍んでいたのに、これでは本末転倒だ。そう卑下しながらも星は、葉の寂寞と自分の餓えを重ね合わせて、まとめて打ち消すかのようにむさぼった。 たしかに夜はときどき寂しい。寒い夜なら尚のこと。 晴れも曇りも関係なく、闇は海のかなたまで覆い尽くしてしまう。ひとりのときには寂しいなどと思わなかったのに、葉を知ってからふと寂しさを感じるようになった。自分には葉のいない世界こそが暗闇であり、彼を愛するまではいつもひとりきりで夜空と同化していたから、こんな寂しさなどには気がつかなかったのだ。 指先に感じていた熱の根源。いつも冷えやすい葉の身体は、本当はこんなにも熱いのだ。自分しか知らない熱。肌の温度、髪の匂い、舌の感触、卵焼きの味、彼の愛情。密着したまま射精し、一滴も残らず胎内に流し込む。涙を舐めるとしょっぱくて美味しい。小さな口にかぶりつき、唾液も残さず吸い取るかのように味わい尽くす。 「たくさん出てる……。」 かすれた声。涙に濡れる目をきらきらと輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。こんな顔は、数少ないこの瞬間にしか見られない。 「……あっさり出ちゃった。ダメだ、俺早いなあ。」 「じゃあ、もう1回して。」 「……もう1回?……いや、明日する。楽しみは少しずつ。」 「そうやって我慢しなければいいのに。」 「我慢じゃないよ。卵焼きみたいなもん。」 「何それ、わかんない。」 火照った顔でまた笑う。今度は子供のような顔だ。それを眺めるとまた猛烈に欲情しそうになるけれど、星はやっぱり耐えることにした。葉はどうにか、寂しい夜を乗り越えられそうだ。明日のことなどもう考えない。凍えるほど寒い夜には、葉の隠し持った熱で暖をとればいい。 厚い雲に覆われた夜空。雲を突き破れば、本当は無数の星空が海のかなたまで広がっている。自分たちは、それを知っている。それさえわかっていれば、もう暗い夜を恐れることはない。
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