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【黒と白と灰色のこと】
「もうすぐ晴れるそうですね。予報によると、次は晴れた朝が4回はやってくるだろうとのことです。それでまたしばらく曇るけど、晴れをいっぺんに4度も迎えれば、みんなもまた元気を取り戻すはずです。洗濯物もよく乾くし、植物も少しはは早く育ちましょう。」
店主の男に売り物の女たちを引き渡し終えると、魚を焼く焚き火にあたりながら黒が言った。黒はこの世界では、男でも女でもなく、元の世界の住人だ。
当番が回ってくると数日ほどこちらと行ったり来たりになる。今日はその最終日であった。何の当番かといえば、この世界にやってくることが決まった者たちを、川の舟に乗せて送ってくる役目だ。黒が自分でその舟を漕いでくるわけではないが、こうして新たな住人たちを連れてくる者たちを、店主らは"渡し屋さん"と読んでいる。舟で渡ってくるのと、住人を引き渡しにくるからだ。
「今度の曇りはだいぶ長かった。おかげでいつもより寒いしねえ。女どもの部屋に使う薪の費用もかさむしさ。」
「私どもの世界ではもうすぐ年をまたぎますが、ここも来年はもう少し晴れが増えるはずですよ。1年、という区切りがあると言ったでしょう。毎年どういうわけか、晴れの多い年と少ない年が交互に訪れている。今年は少なかったから、来年は多いはずです。」
「そうだといいなあ。向こうもやっぱりこれくらい寒いのかい?」
「ええ、緯度は……いや、季節は向こうもこちらも同じですから。特に私の住むところは……そうですね、高い建物が多くて、その建物を縫って吹いてくる風は、海の近くにいるのと同じくらい寒いです。山のおろしよりはマシですけどね。」
「雪ってのも降るんだろう。」
「雪の多い地域ではありませんが、ときどき大雪に見舞われることもあります。」
「こないだまで渡し屋さんだった白さんは、雪が好きだと言っていたな。」
「白はよその土地から……雪原に覆われたようなところからはるばる流れて来たのです。だから雪は故郷を思い出すのでしょう。……まあ、我々はもともと雪に閉ざされたところに多く住んでましたから、寒さに強いのは多いですね。私は寒いのはキライですけど。」
「ははは、たまーにそういう渡し屋さんもいるなあ。海で泳げるくらい暑ーい日が好きだって。」
パチパチと火の粉がはぜる。黒の透き通るような白い肌が、赤々とした炎に照らされている。息を呑むような美しさだと思うが、彼らはやっぱりどこか自分たちとは違う種族のように感じる。
「……それにしても、渡し屋さんってのは、ふだん何をして暮らしてるんです?ずーっと不思議に思ってますが、聞いちゃいけないことのような気もして。」
店主に問われると、黒は空を見上げ、「ううん……」と腕を組んだ。そしてしばらく考えたのちに、言った。
「私たちが連れてくる者たちと、おんなじように暮らしています。かつては私たちの先祖が土地を支配し、あの者たちの先祖が耕す畑を守って暮らしておりました。」
「センゾ……」
「……ああ、そうか。……では、私たちを作り出したもの、と言っておきましょう。」
「ふむ。」
「その……私たちの先祖は、あの者たちの先祖に守り神として祀られ、酒や魚や作物を与えられ、その見返りに豊穣を約束してやった。けれど今は、私たちも彼らもおんなじように働き、まじわりあいながら暮らしています。彼らの豊かさはとどまるところを知らず、今度は彼らが国を支配する側となったからです。私たちは住む場所をどんどん失い、祀られても素通りされるばかりで、私たちがどのような生き物であったかを正しく知る者はほとんどありません。……時の流れに沿うように在り方も変わってきました。それもずいぶん大昔からですよ。彼らの先祖はあちらの世界で"時代"というものを築いたのです。時代の移ろいには我々ですら逆らえない。ですから仕方のないことと受け入れて、あの者たちと同じように暮らしていくと決めたのです。」
店主は「ふうん、なるほどねえ……」と分かったような分からないような相づちをうち、「じゃああいつらと同じ仕事をしてるんだ。」と返した。
「大体の者はそうです。でも、私たちが彼らと違う種族であることは内緒です。言っても信じてもらえません。なぜなら私たちはすでに、彼らにとっては空想上の生き物となってしまいましたから。」
「えっ、そうなの。昔から居たのに?」
「ええ。我々のような者は存在しないことになっています。それに、このように彼らと何ら変わらぬ見た目ですからね。これで少しでも先祖の姿を残していれば、もしかしたら信じてもらえるのかもしれませんが……向こうの世界で本来の姿で出歩くことは、混乱を招くので禁止されています。」
「本来の姿?……ああ、あの大っきな耳と、しっぽのことか。」
「私はその程度ですが、先祖はもっと異なる姿をしていました。私はもう、先祖のように完璧に化けることはできません。耳もしっぽも、限られた者にしか見えません。」
「へえ……。俺にもあったらいいのになあ。寒いときにはあの大きなしっぽにくるまって温まれる。」
「温かいですよ。先祖はみんな、全身をあの毛で覆われていたから寒さに強いのです。」
「はあ、なるほど。そういうことか。」
「でも人間は………」
「……ニンゲン?」
「……ああ、いえ、あなた方はきっと、あらゆる種族の中でもっとも暑さ寒さに適応しにくい生き物です。それなのに、今やどこにでも暮らしていける強さを手に入れた。あなた方にはそもそも勝てぬ運命だったのかもしれません。」
「そうかい。勝ち負けってのは変な話だが、そんなモンなんだね。……ほら、そろそろいいあんばいだよ。お食べ。」
「ありがとうございます。」
焦げ目のついた串刺しの魚を、2人並んで口にする。
「ここに来たときの、私のいちばんの楽しみです。」と言って、美味しそうに魚を食べる黒の横顔とその口元にのぞく鋭い犬歯を、店主は微笑ましい気持ちで見つめた。渡し屋は持ち回りなので黒にはあまり会えないが、店主はこの不思議な生き物の、いやに自分たちに馴染みやすいところが好きだった。
「次はいつ来るの?」
「そうですねえ……来年の今ごろか、もう少し先か……。」
「あんたにしばらく会えないのは、ちと寂しいね。」
「すぐですよ。1年てのは、あっというまです。」
「元気にやりなよ。」
「……ええ。あなたも。」
黒が教えてくれることは、他の渡し屋よりも多い。だがあちらの世界のことを聞けば聞くほど、この世界が何なのかわからなくなる。あまり知ってはいけないことなのだろうか?いや、そうではなく、自分たちにはもう「知る必要」がないのかもしれない。名前も知らず、過去も知らず、渡し屋に連れられてやって来るこの灰色の世界。
ここはきっと、何も持たぬ者たちが暮らすための国。海を渡る船を待ちながら、休むことなく働いて作り上げていく、男の世界。富を手にしていちばんに買うのは、自分だけの女。次に子供を買ったら、次にはその子の玩具。何も持たずにやって来て、少しずつほしいものを手に入れて、次々に新たなものを必要として、無限に広がっていく世界。
ただしどこに行こうとも、空は変わらず灰色であろう。
海のかなたに見える景色は、船に乗るまで誰も知らない。
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