【経済と仕事のこと】

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【経済と仕事のこと】

ときどき土の中から発掘される"汚れた小銭"以外にも、この雨と曇りの町で貨幣の役割を果たすものは様々ある。むしろ小銭というのは希少なので、所有する者は限られている。多くを所有する者はもっと限られている。 「薬草の栽培に早いうちから目ェつけといてよかったな。コレはちょっとした切り傷に使えるし、コレなんかは煮詰めて飲めば美容に効果がある。あと……これは精製するのがちと面倒だが、煙を吸い込めば5分とか10分とか、人によっては30分くらいやつだ。昔、船に乗り込む奴から苗を分けてもらったんだ。」 外は雨ばかりだし、めったに日光が降り注がないので、ヒロの薬草はどれも離れの倉庫で栽培されている。モノによっては乾いた風や電気のあたたかな光を要するものもあり、それなりに手間のかかる草もある。だがほとんどは、湿った暗い場所でしか育たないものばかりだ。 ヒロと海にとっての貨幣とは、ほとんどがこの薬草だ。ヒロは薬草に関する知識が豊富で、海はヒロの不在のあいだ指示通りに水をやったり、機械を調整して風や光を送り込んだりしている。収穫した薬草と日用品や食料を交換したり、あるいはこれらが小銭によって買われることもある。乾燥させて使うものもあるが、基本的には生モノなので長く保管しておけないことがネックとなり、あまり栽培している者はない。だからこそまだ価値がある。 海と交換されたのは、金属片と機械油、それからここで栽培された、精力剤として効果のある精製前の薬草だ。船を作って得られる貨幣は、今回のような大型のものならそれなりに見込みもあるけれど、普段はチンケな船ばかりなので大した稼ぎにもならない。それでも食うに困ることはないけれど、ふたりはいつか子供を買いたいので、薬草をもとでに貨幣になりそうなものをたくさん貯めている。 子供は3人くらい、男でも女でもいいけれど、賑やかで楽しい家庭にしたい。そうなると食べ物も布地も靴も、諸々の費用が今の何倍にもなる。 ヒロの親方の(ふじ)のように多くの富を持つ男ならたやすいけれど、ごくふつうの作業員と、家のことをする女だけの家庭では、子供を持つのはなかなか難しい。 女でもカンタンな仕事に就く者は多い。 涼は編み物が得意なので、毛糸を買ってありとあらゆる防寒具を作り、毛糸にかかった金よりもずっと多くの貨幣に替えている。里は菓子作りが得意なので、パイやクッキーを焼いては町で売り歩いており、美味いのですぐに売り切れるそうだ。 海には、得意なことが何もない。料理も編み物も人並みにはできるけれど、売り物になるレベルではない。だが何の能力を持たぬ女でも、鳥の飼育や小さな子供の世話、読み書きができるなら単純な事務作業や服屋の販売員などに就いている。それらは海にもできる仕事だが、問題はどこもとっくに人手が足りて空きがないということだ。案外どの家も主人の稼ぎだけではカツカツなのかもしれない。 だが船の設計にも携わる研究者の櫻だけは、近隣一帯ではいちばんの高給取りである。里のクッキー販売は仕事というよりほとんど趣味の範疇であり、ほしい服を買うための小遣い稼ぎのようなものだ。 しかし大勢いる人夫の賃金は大幅に下がる。そして涼の主人の樫と、ヒロの賃金にさほど差はない。夫の稼いでくる給料でも暮らせないことはないけれど、涼も働いているのは家計にもう少し余裕がほしいからだ。だから同じ水準で暮らしている海も、同じように何かをしたかった。 だが先日、ある大きな家の家政婦の募集がかかったのだが、応募しようとしたらヒロがそれを良しとせず、別の仕事にしろと迫られ仕方なく諦めた。 違う男の家に出入りをされるのが嫌だという、いかにも男らしく子供じみた理由であった。 これは海たちに限らず、どの家の主人も縄張り意識と独占欲が強いので、他にも同じように止められたという女たちの話をいくつも聞いた。 なんだかなあ、とつまらない思いはしたが、けど確かに、家政婦がほしいのなら女をもう少し買えばいいのだとも思った。藤の家も家政婦など雇い入れず、すべて自分で買った嫁に家のことを任せているのだ。だが、すべての女たちを船に乗る日までずっと家に置き食わせていかなければならないから、それなら短期の家政婦を定期的に雇う方が経済的かもしれない。藤のように揺るがぬ富を得た男ならば、買ってしまった方がいいのだろうが。 ー「毎日毎日暗い倉庫で、もの言わぬ草の世話ばっかりでうんざり。」 庭で子守をしていた(きく)に、海が珍しく愚痴を吐いた。 菊の主人の(かしわ)は金属を加工して船などの部品を作る仕事をしているが、まだ弟子の段階なので賃金などスズメの涙ほどだ。早く一人前になってもらわねば、昼夜働き通しの生活のままである。 菊もペニスがあり、肉が薄くて背は並以上に高い。不自由な左目には眼帯をしており、さらに他の女よりも少し年を取っていたせいか、売りに出されたとき最後まで売れ残っていたそうだ。それを、偶然店先に訪れた柏が店主と交渉して、唯一持っていた黒焦げの茶色い硬貨ひとつで身請けされたのだ。柏は何でもいいからヒマつぶしに嫁が欲しかった、と憎まれ口を叩くそうだ。だが、食うに困ってから日雇いをしてあとはフラフラしていたくせに、本腰を入れてマジメに働くようになったのは、菊がやって来たからである。古くから居る近所の人々がそう言っていた。 「赤ん坊だって何も言わずに泣くか笑うだけさ。おんなじようなもんだ。」 「全然違うよ。草は泣きも笑いもしない。ただ伸びるだけ。奇跡的に愛着が湧いたころには売りどきさ。」 菊は各家庭の小さな子供の世話をして、柏と同じくらいの賃金をもらっていた。つまり今おぶっている子は菊たちの家の子ではない。いずれもゆくゆくは立派な男の働き手にするために、裕福な家が買った子供たちである。 赤ん坊というのはどんなに優れた女よりもずっと値が張る。なぜなら教育によっては男にも女にもできるからだ。そして小さな子供や赤ん坊というのは、めったにこの町に流れてこないため貴重なのだ。だがこういう子らを買う富裕の人々というのは、事業や人付き合いで忙しくほとんど家にいないので、菊のような子守を雇って世話をまかせている。菊は柏に買われてからすぐにこの仕事を手にし、もうずっとやっているのですっかりベテランの乳母であった。 「いずれ貨幣になるんなら、栽培だって立派な仕事じゃないか。しかも売り上げをほとんど独占してる。もっと大々的な事業にすれば、いずれは藤親分のようになれるかもしれないぞ。あの人だって、船を作る権利を独占してるからあんなに大金持ちなんだ。」 「でも、地味。ヒロくんが帰ってくるまでひとりぼっちで寂しくなる。子守がうらやましい。」 「大きな農園にすれば、たくさんの農夫を雇えて賑やかだぞ。」 「毎日天気が良ければね。」 「まあな……。」 灰色の空が翳り始める。太陽は今日も顔を見せぬまま、もうすぐ夜がやってくる。満月の日だけは雲越しに月が透けて見えるけれど、それ以外は月明かりすらない黒と灰色のつまらぬ夜空だ。星は晴れた日にしか見えない。 「あ、降ってきた。」 頬にぽつりと雫が落ちたので、納屋の脇に備え付けられた囲炉裏付きの小屋に避難した。赤ん坊はまだ庭で景色を見ながらウロウロしたいとぐずり、しばらくすると眠くなったのか余計に泣いた。けど菊は、気難しい赤ん坊も難なく眠りにつかせることができる。薄っぺらな胸に抱かれ、目の端に涙を浮かべながら、赤ん坊は菊の顔を見つめながら少しずつまぶたを閉ざしかけては開き、そのうちスッと落ちていった。 「菊はいつか自分の子供を買わないの?」 海が眠る赤ん坊の頬をつつく。ぷにぷにとして気持ちいい。いつまででも触っていたくなる。 「うん。よその子の面倒だけでいい。だって、それが俺の仕事だから。」 「自分の子は仕事じゃないよ。」 「仕事だよ。やることはおんなじだ。それにうちにはすでにがいる。アレの世話だけでもうジューブン。家でホンモノの赤ん坊ばっかり構ってたら、ふてくされそうだしな。目に見えるよ。」 「柏さんも甘えん坊?」 「うん。俺が優しくしてくれそうだから買ったんだって。」 「ふうん。……見た目じゃわからないね。」 「男はきっとみんなそうだ。……お前んとこもそうだろ。」 「まあ……。」 「この世界は男の仕事で成り立ってるけど、俺たちがいなけりゃ本当は成り立たないのさ。」 「どういうこと?」 「男の世界には、女が必要不可欠ってこと。」 「……そうなのかな?ただ甘えるだけなのに。」 「それが無かったら、外で何にもできなくなるほど弱いんだよ。ひとりじゃ何にもできない。だから赤ん坊と同じってことさ。」 「まさか。」 櫻は船を設計し、柏は必要な道具を作り、ヒロは船を作り、樫は船のために線路を作っている。 まがうことなき男の世界だ。女のなすべきことなど、本当は何にも無いのじゃないかと思えるほど……。
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