壱.玖拾捌

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その先の上映スタジオには上機嫌の主催者(オーナー)が如何にも高級感のある回転椅子に腰かけており、不敵な笑みを滲ませながら、作品(アート)から浴びた鮮血と体液に塗れた僕に何時の如く、穏やかに微笑みかけた。 「先生、お疲れさまでした。今宵も最高の興行(ショー)を御見せ頂きありがとうございました。」 僕は赤黒く変色したエプロンとゴム手袋を、空にされている黒いビニール袋が張られたゴミ箱の中に放り込み、僕の(サイン)である鉄の仮面(マスク)を外すと彼に軽く頷いて見せた。 (オーナー)の斜め後方の巨大なモニターには完成した作品(アート)の全貌が強調して映し出されており、彼もこの一部始終を色めき立って鑑賞していた。 「本日の視聴率も見事に上々でした。私個人しては息も絶え絶えな虚ろな作品(アート)の右の眼球に、今日一太長い釘を、いえ、引導の杭といった方が正しいのかもしれません。それを、何の惜しげもなく角膜の中心に正確(ストレート)に叩き込む瞬間が本日最大の見せ場だったと痛感いたしました。実際、その際に書き込まれたお客様(オーディエンス)の反応からもそれはお判りになると思われます。あの情緒的なある種の浄化(カタルシス)をも感じさせる一撃は、万人の五臓六腑に染み渡る至極の享楽の締めに相応しいものでると誰が否定できましょうか。」 彼は過剰に興奮気味に今日の創作のの感想を饒舌に述べて見せた。 創作において過程、工程(プロセス)は非常に重要な(キー)である。 しかし、創作物というのは結果が全てであるとみなされてしまう事象の方が圧倒的に多いのは否定できない事実である。 完成品が全てという資本主義的で幾何学的なテンプレートは僕の性には合わなかった。 だがは僕の創作の工程(プロセス)に重きを置いてくれている。 彼等にとってこの興行(ショー)は完成品よりも、その工程(プロセス)が大きな資本の比重(ウエイト)を占めているという短絡な理由故ではあるのだが、僕にとってはそれは返ってありがたい事であった。
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