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そんな現実に思いを巡らしながらもテーマを纏め上げ、創作の準備を整えると、アトリエの重い扉をゆっくりと広げた。
新品の柏の椅子に四肢をベルトで固定された女がまるで親敵を見るかの如くこちらを睨みつけていた。
その真新しい痣を拵えた顔面から察するに、既に国家権力による少し度の過ぎた尋問を受けていたように見受けられた。
これが例の構成員を作品にすることへの疎ましい点の一つである。
土台は心身ともに美しい状態であることが好ましい。
だが、これらも素材の味と受容し、生かすのが僕の仕事であると割り切るようにしている。
僕は武者震いの治らぬ両手の関節をボキボキと鳴らしながら尋ねた。
「おはようジャンヌ。昨晩はよく眠れたかい?」
世に混乱を招き、英雄気取りの彼女にはジャンヌという愛称をつけることにしていた。
「私を見ろ。」
ジャンヌはそっぽを向いたまま相変わらずニヒルを気取っていた。
「もう一度だけ言う。私を見ろ。」
僕はジャンヌの腫れた頬と細い顎を鷲摑みにすると、今日の主役が誰なのかを判らせるため、こちらを見る様に強いた。
「この下劣な変態どもが。」
そう乱雑に言い放つとジャンヌは僕の顔、正確に言えば僕を僕たらしめる鉄の仮面に唾を吐きかけた。
瞬間的に激高した僕は、器械台に置かれたガスバーナーを取り上げるが早いが、彼女の右の素足を火炙りにした。
無慈悲な火炎放射の轟音と彼女の絞り出すような悲鳴が共鳴し、部屋の中には生物の焼ける匂いが充満した。
「私は悪魔でも天使でもない。
善や悪などとは無価値な一個人の主観に過ぎない。
極めてナンセンスだ。
だが口にするのも一個人の自由に過ぎない。」
自身の一部を不可逆的に破壊された彼女の声色から漸くこの状況を飲み込んだと見えた。
「君の加工は全世界に公開され、観たものの一時的な記憶、そして壱と零の半永久的な二つの記憶に刻み込まれる。それを意識して発言してくれ。」
ジャンヌの顔色が苦痛と絶望で青ざめていくのが判った。
「君が最後まで君であった事実をハッキリと意識してほしい。それだけが私の願いだ。」
僕はそれから時間をかけてジャンヌの残りの四肢を端からゆっくりと炙っていった。
「ジャンヌ、君の作品は私の眼には極めて不埒に映った。君の芸術性が私には到底理解出来かねる。君にはあの社の価値が判らなかったようだが、私の数少ない思い入れのある場所だった……
それを焼き討ちにするとは。
到底理解出来かねる、到底理解出来かねる。」
文字通り身を焼く激痛に悶える彼女は何度も気絶しそうになっていた。
だが、その度僕は彼女の壊死していない静脈にモルヒネや強心剤を打ち込み、彼女の意識が決して途絶えない様にに会話を楽しむ。
作品が完成前に死骸になってしまう事なんてとは絶対に避けなければならない。
「これは君にとって、もう不必要だろう。僕にとっても不必要だ。」
僕は糸鋸を手に取るとジャンヌの罪深くもよく焼け上がった四肢を時間をかけて切り落とした。
切断面からの大量の出血を止めるため、肉が露呈した部分を火で炙る止血を怠ってはいけない。
絶叫で喉は枯れ、眼に見えて目の焦点が合わ
なくなっている彼女に僕は激励を続けた。
「ジャンヌ、死ぬな!お前はまだ完成していない!最後までお前の生きた証を残し続けろ!」
顔は焼け爛れ、五臓六腑の蛋白質が変性しきる最後の最後まで彼女は艶やかな嬌声を上げ続けた。
唯一残した完膚である額に作品番号「玖拾玖」を彫り込むとついに完成した。
今日のテーマは『凝固した黒血の反逆者』だ。
噎せ返るような激臭と椅子と胴の境界を失ったジャンヌであったものに別れを告げると、僕は今宵もアトリエを後にした。
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