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やっと戸部くんが答えます。
「俺たちがやり直せないって事は、琴梨が一番良く分かっているはずだろう?」
「だったら、死にたい。私の時間はもう動いたりしない。死にたい」
一番言ってはいけない言葉を、私は吐き出してしまいました。
あの日から、私がいつも思っていたけど、言わなかった言葉です。
私はあの日から頭の中が、たぶんおかしいのです。
だって、見えないものが見えるんですから。
――見えてはいけないものを見て、喋っているんですから。
戸部くんは立ち止まり。
私も立ち止まりました。
私たちは、見えない顔を見合わせて、立ちすくみます。
戸部くんが私の顔に向かって、弱々しく言いました。
「そんな事、言うなよ」
戸部くんの言葉を追いかけるように、轟音が聞こえました。
私は戸部くんから視線を外して、音の方を見ます。
信号機が働かない交差点で、車同士がぶつかって、交通事故が起きたようでした。
クラッシュ音が辺りをつんざきます。
「ガシャーン。ドシーン」
1つの事故が、2つ目の事故を呼び。
それを避けるように、次の車がハンドルを切ります。
ハンドルを切った車の1台が、私たち立つ歩道に突っ込んできました。アクセルとブレーキを踏み間違えたのか、車の勢いは増すばかりです。暴走した車のヘッドライトが、私と戸部くんを照らしました。お陰で、見たかった戸部くんの顔が、ハッキリと見えました。
私は笑顔になって「やっと、戸部くんの顔が見られた」と言いました。
戸部くんの笑顔は優しくて、私の心に染み込んできました。
暴走車両は軽々と歩道へ乗り上げ、私と戸部くん目掛けて突っ込んできます。
ヘッドライトに照らされて、私たちは『月に浮かぶ兎のように』周りの人たちに見えたはずです。空にない月の代わりに、地上に降りた月――暴走した車のヘッドライト――その中にいる私たち。
――今私たちは『おとぎの世界の住人』です。
私の周りで悲鳴が上がります。
「ギャー。危ない!」
「あ――、逃げて!」
戸部くんが私に言いました。
「琴梨は 今を生きて欲しい」
私は戸部くんに弾かれました。私は遠ざかる戸部くんに手を伸ばします。でもヘッドライトの中の戸部くんの腕を掴むことは出来ません。
私は車のヘッドライトの外に飛ばされました。
暗闇の中に落とされた私には、車のライトに収まった戸部くんが、別世界の住人に見えました。
――戸部くんは、月の世界に住む兎。
そして私は、地上から兎を見つめる小鳥。
戸部くんは車にぶつかり、車に弾かれて、闇の中に弾け飛んでいきました。
――ガシャーン――
爆音が響きます。
人の悲鳴が聞こえます。
私はその様子を見ながら気を失っていきました。
誰かが私に駆け寄ってくるが、空気の動く気配で分かりました。
「大丈夫ですか?」
私は朦朧として言います。
「……たぶん」
そう、たぶん、身体は大丈夫です。
――3年前から、頭が不調なだけです。
私の意識は、真っ暗な闇に吸い込まれていきました。
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