玉の輿に乗るのは楽じゃない

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・実家の没落と共に死ぬ運命を繰り返す令嬢。今度こそ家と自分を救うため、玉の輿を目指す!  王宮の裏庭に建てられた断頭台への階段を登る両親を見て、アンシャリーティ・ルパンエの眼に光るものが湧き上がる。青い瞳から流れる涙を拭おうともせず、彼女は叫んだ。 「お父様、お母様!」  後ろ手を縛られた両親は声の方を振り返ろうとして死刑執行人の助手たちに制せられた。立ち止まることも振り返ることも許されず、断頭台の上に登らされたアンシャリーティ・ルパンエの父母は助手たちによって体を抑え付けられた。  二人は同時に何かを言った。しかしアンシャリーティ・ルパンエには聞き取れなかった。聞き返す間もなく、彼女の両親は死刑執行人が振り下ろした巨大な斧で首を斬り落とされた。  断頭台の上で死刑執行人の助手たちが切断された両親の首を高く掲げた。死刑執行の見届け役はぞんざいに頷く。そして、自分の隣で十字架に貼り付けになっているアンシャリーティ・ルパンエに尋ねた。 「お前のせいで、お前の両親は殺されたのだぞ。悪役令嬢アンシャリーティ・ルパンエよ、少しは反省する気持ちになったか?」  アンシャリーティ・ルパンエは死刑執行の見届け役を睨みつけた。 「この人でなし! お前のような悪役こそ、首をちょん切られるべきよ!」  死刑執行の見届け役はうんざりした口調で言った。 「私は単なる役人だ。裁判官が命じた死刑が確実に執行されたかどうか確認するのが仕事の、小役人だよ。自分の職務を果たしているだけなのだ。それなのに悪役呼ばわりはないと思うが」  そんなの、知ったこっちゃない。アンシャリーティ・ルパンエは憎悪のこもった目で死刑執行の見届け役を睨み、悪態をついた。 「この冷血漢! 殺人鬼! 低能の下っ端! 死ね、すぐに死ね!」 「すぐに死ぬのは君だよ、アンシャリーティ・ルパンエ。次は君が殺される番なのだから」  死刑執行の見届け役は哀れみのこもった目で、そう言った。その通りだった。共犯である両親の処刑後、主犯であるアンシャリーティ・ルパンエが死刑になることになっていた。両親のように一瞬で死ぬ処刑方法ではない。十字架に貼り付けにされた状態で、全身を棒で叩かれ、槍で突かれ、最後に焼き殺されることになっていた。死刑の方法としては、最も重いものである。これは非常に珍しい処刑方法だった。滅多にないので臨時で十字架が建てられたほどだ。これが終わったら――つまり、彼女の処刑だが――十字架は解体される予定だ。しばらく使う予定はないとの判断である。彼女の犯した罪である国家反逆罪は、それぐらいの大罪だった。  悪役令嬢アンシャリーティ・ルパンエが国家に対する反逆を企んだのは、実家の没落を食い止めようとしたからである。かつては繫栄していたものの、次第に権力の中枢から追いやられ、いつしか滅びの道を歩み始めた実家を救うために、彼女は数々の謀略を巡らした。ライバルの貴族を密告で破滅させる、仲の良い親族を裏切り財産を奪う、国王陛下のお妃様を毒殺し自分が新しい王妃になろうとして、あと一歩まで行ったのだが……国王陛下も毒殺しようと計画したのは発覚したのが運の尽きだった。  実家の両親共々、彼女は逮捕された。当初、主犯はアンシャリーティ・ルパンエの父母だと思われたが、犯行を主導していたのは娘だと判明したので、それに基づいて裁判官は判決を作成した。アンシャリーティ・ルパンエは最も重い十字架上での拷問後の死刑、その両親は断頭台で苦痛の少ない死を与える……その結果が、上記の次第である。  国家への反逆を企んだ悪役令嬢アンシャリーティ・ルパンエは十字架の上で怒り狂っていた。今度こそ、今度こそ上手くいったと思ったのに! と腹が立って腹が立って仕方がなかったのである。  アンシャリーティ・ルパンエが無残な死を迎えるのは、これが最初ではない――というか、最初の死刑がいつだったのか、彼女自身が思い出せない。それくらい彼女は死のループを繰り返していた。実家の没落と共に死ぬ運命を繰り返す令嬢、それがアンシャリーティ・ルパンエだったのである。今度こそ家と自分を救うため、玉の輿を目指す! はずだったが、物事は予定通りいかないもので、今回も玉の輿に乗るのは失敗に終わったようである。 「いや、待てよ。もしかして国王の気が変わって、直前になって死刑執行の中止命令が出るかも! 国王の命令であれば、裁判官だって従う。そして、わたしは自由の身に! それだけじゃない。国王は、わたしとの結婚を決意する。いやいや、それより、王位をわたしに禅譲する方がいい。わたしは女王になるの! 女王様よ! アンシャリーティ・ルパンエ女王の誕生よ! 即位式のドレスは何がいいかしら? なんといっても即位の場面で着るドレスですからね、最高級の服でないと納得できないわ! それだけじゃ物足りない。最高の品物を揃えないと、人生最高の場面ですもの! ティアラはどんなデザインにしましょうかねえ……宝石業者にカタログを請求しないと! 見積もりも早めにお願いしないとね。だって、急がないと即位式に間に合わないかもしれないじゃない! お金は幾らだってあるんだもの、贅沢をしますけど、それで戴冠式に間に合わないとしたら、本末転倒。それなら、取り寄せにならず、すぐに用意できるもので我慢しなくちゃいけないかしらね……」  固い樫の木の棒で全身を殴打され、続いて槍で体中を刺されている間、アンシャリーティ・ルパンエは大体のところ、上記のような大放言を延々と繰り広げていたが、焼き殺された頃には静かになった。  そして、あの世で一人、大反省会が始まった。 「ええい、畜生め! 今度こそ大成功だと思ったのに! 今までよりもずっとスムーズに、ずっとスマートに事を運べていたのに! 何が悪いんだろう? ええい! 一体全体どうして、こんな悲劇の繰り返しが続いているのだろう?」  悲劇のループが繰り返されていることに対する疑問は、以前からあった。死んだと思ったら、生前の記憶がある状態で生まれ変わるのである。不思議に思わない方が変だ。だが、アンシャリーティ・ルパンエは、その疑問の答えを探すよりも、家と自分を救うため、玉の輿を目指す方向へと毎回毎回突っ走り、そしてしくじっていたのだった。  何かいいかげん、別のアプローチを模索すべきでは? とアンシャリーティ・ルパンエは考えた。しかし、何をどうすればいいのやら?  そんなことを考えつつ、転生の時を待つ間に、閃くものがあった。 「玉の輿って言うから、最高級で最上級の玉の輿ってことで、国王のお妃様で行こうと決めていたけど、それが悪いのかもしれないわね。もっと頭を柔軟にしないと、この地獄のループから脱出できそうにないわあ~~~あ、来た、転生の時が、またまたやってきたあ!」  死者がいるあの世から、生者のいる元の世界へ、アンシャリーティ・ルパンエは再び――正確に言うと、再びどころではなく、無限の回数と言ってもいいくらいだ――転生した。同じ過ちを繰り返さないと心に決めて。 ・呪いの力を持つからと、幽閉されて育った姫。そんな彼女を“盗み”に泥棒が現れて……?  漆黒の石材で建てられた螺旋塔の最上階には、細い塔とは不釣り合いなほどに広いバルコニーがある。遠目からは螺旋塔の上に舞台があるように見えなくもなかった。その見立ては間違っていないと言える。しかし、それは人に見せるための舞台ではない。神に見せるための舞台であった。何を? 何を神に見せるのか? 螺旋塔の最上階に閉じ込められた姫君だ。神に姫君を見せて、何がどうだというのか? 呪いの力を持つ姫君から、呪いの力が消えたかどうかを、神が判定するためだ。姫君の体が浄化されたかどうかは、神の眼でしか判断できない……とされている。実際は、どうなのか? 誰も分からない。少なくとも、呪いの力を持つからと幽閉されて育った姫君ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグは、そこら辺の事情がさっぱり分からない。特に説明もなく育てられたからだ。ずっと疑問に思わず生きてきたが、十代に入った頃から知りたいという思いが湧いてきて、次第に強くなってきた。何しろ、自分のことだ。何がどうなっているのか、知りたくなるのが当然だろう。  その日、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は朝早く起きると、バルコニーに魔法でオルガンを出現させた。年代物ではあるけれど、手入れの行き届いた立派なオルガンである。そして自らが作曲した『河童とバシリスクそしてダイオウカエルのフーガ』の演奏を始めた。  その曲に耳を傾ける者は誰もいない――ただ一つ、全能なる神を除けば、誰も。晴天の空の上から自分の演奏を聞いているであろう神に向けて、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫はオルガンを弾く。  螺旋塔最上階のバルコニーからは周囲の光景が一望のもとに見渡せる。西側に広がるのは沼沢地だ。沼沢地には巨大な蚊柱が何十本となく立っている。揺れ動きながらも消え去ることのない蚊柱の周りを、虫を餌とする小鳥の群れが乱舞していた。時折り、小鳥たちが蚊柱へ突っ込む。外敵が突入すると蚊柱は一瞬で散るが、間もなく再び集まり始め、また蚊柱を形成する。その蚊柱に負けない高さの樹木が集まるジャングルから、黒と白の横縞が規則正しく並んだ巨竜の群れが現れた。盛んに吠えている。その響きはオルガンの音色と不思議に調和した。それもそのはずで、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は、その巨竜、その名もガンゲロスコテラサウルスの鳴き声にインスパイアされて『河童とバシリスクそしてダイオウカエルのフーガ』を作曲したのだった。  沼沢地の北側にあるジャングルの北方の空は、だんだんと黒ずみつつある。北の方角から雷雨前線が忍び寄っているのだ。迫り来る雷の気配を察知した巨竜ガンゲロスコテラサウルスは沼沢地の水草を急いで食べ始めた。雷が来る前に巨木が生い茂るジャングルへ逃げ込まないと、雷の直撃されてしまう恐れがあるのだ。それだけの知能があるのだから、飼い馴らすことができるかもしれない、とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は考えたことがある。飼い馴らすことができたら、ここから逃げ出す際に利用できるだろう、と彼女は思ったのだが、世の中はそれほど簡単ではなかった。螺旋塔の周囲には結界が張られていたのだ。  それを知っている巨竜ガンゲロスコテラサウルスは、螺旋塔の近くには絶対に近づかない。寄り付きもしないので、飼い馴らすのは無理だとローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は諦めた。だが、螺旋塔からの逃亡を諦めたわけではない。チャンスがあったら、逃げてやる。そう心に決めている。『河童とバシリスクそしてダイオウカエルのフーガ』のオルガン演奏も、ここから出て行くための手段の一つだった。神は、この曲に耳を傾け、そして演奏者であるローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫から呪いの力が消え去ったかどうかを評価・確認するのだ。つまり、一種のテストなのだ。螺旋塔という学校から卒業できるかどうかの。検査とも言える。螺旋塔病院から退院できるかどうなの。審問とも言えよう。螺旋塔と名付けられた監獄から釈放されるかどうかの。  そう言った事情なので、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の表情は真剣そのものだ。この日は年に一度の音楽テストだった。他にも試験はあるけれど、最も得意なオルガンの演奏で合格点以上の点数を取れば、たとえ他の点数が悪くとも補えるかもしれないのだ。  螺旋塔東側にある、螺旋塔建設よりも遥か古から建つ巨大寺院の廃墟から屍食鬼の呻き声が無数に聞こえてきた。耳障りだったが、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は演奏に集中した。ここが『河童とバシリスクそしてダイオウカエルのフーガ』最大の難所なのだ。演奏に没頭しないと、失敗する危険がある。こんなだったら、こんな曲を作曲しなければ良かったと作曲者である彼女自身が後悔する瞬間だ。  螺旋塔南側の赤茶けた荒野に藍色の闇が蠢いた。<空間の歪む時間の幽霊>と呼ばれるもので、屍食鬼と同様に、半分は超自然の存在で半分は生物的な特性を持つ。螺旋塔の看守のようなものだ。ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の逃亡を防ぐのが、その役割である。普段なら、人の眼には見えない。ここに永く幽閉されている姫君も、見たことは一~二回で、その存在を正しく認識しているわけではない。だから、それが出現したことが異常事態であるとは分からなかった。そもそも、演奏に集中していたので何も気づいていない。  演奏は佳境に入った。このままミスなく続けることは、とても難しい。だけれども、完全・完璧な演奏をしなければならない……とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫が奥歯を噛み締めたときだった。螺旋塔の広いバルコニーの上に黒い影が降り立った。  最初、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は侵入者に気付かなかった。それくらい演奏に集中していたのだ。侵入者は、オルガンの演奏の邪魔はしなかった。その音色に恍惚としていたのだろうか? 違った。侵入者は掌の中にある魔法の手鏡を見ていた。その手鏡には愛らしい子供時代のローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の肖像画が映っていた。侵入者は、子供時代のローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の顔をじっくり見た。頭に刻み込んでいるようだった。手鏡は、どうやら魔法のアイテムらしい。侵入者が鏡の表面を擦ると肖像画は消えた。それから侵入者は、大きく成長したローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫に近づいた。背後から声を掛ける。 「ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグさん、御用があって参りました。こちらを向いて下さい」  演奏の邪魔をされたローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は「ちぃいぃ」と小さく舌打ちをした。螺旋塔には時々、神の代理人を称する連中が現れる。幽閉された姫君の様子を伺いに来るのだという。何を考えているのか不明だが、神に見せるための演技や演奏をしている最中に現れることが多いのは、嫌がらせのためだろう。自分を幽閉させておいた方が好都合な連中がいるのだと思わざるを得ない。  だから、オルガンを弾く手を止めて振り返ったローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の表情は鬼神か悪魔といった顔そのものだった。それを見て、侵入者の女性はギョッとした。幽閉された美姫が口を開く前に呟く。 「子供時代とは人相が違うわね」  聞こえていた。 「うるさいです。一体、何の御用ですか? わたくし、今、凄く忙しいんですけど。本当に、本当に、大変なところだったんですけど」 「それは申し訳ないことで」  侵入者は素直に頭を下げる振りをした。すぐに顔を上げる。 「でも、それよりも、わたしの要件の方が重要ですよ」  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は警戒心を露わにして尋ねた。 「どんな要件なのです? 神に捧げる音楽の演奏より大切なものなのでしょうね」  侵入者は頷いた。 「もちろんですよ、幽閉されたお姫様。何しろ、ここから脱出できるのですからね」  幽閉中のローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は耳を疑った。 「何ですって?」 「ですから、ここから逃げ出すことができるんですってば」  そう言う侵入者をローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は疑わしそうに見つめた。全身が黒ずくめの侵入者は、声の調子からすると女のようだが、顔は覆面で覆われていて人相までは分からない。美しい青の双眸だけは見て取れる。そんな侵入者に姫は言った。 「いい加減なことを言うなら、絶対に許しませんよ」  侵入者は気軽な口調で答えた。 「この螺旋塔の周囲には厳重な結界が張られていたけど、わたしはこうして入って来られた。出て行くのは、もっと簡単だよ。ただし」  一呼吸の間を置いて、侵入者は付け加えた。 「あなたの協力が必要。わたしを信じてくれないと、出て行くのはわたし一人だけってことになる」  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は唾を飲み込んで、侵入者の眼を覗き込んだ。相手の青い双眸からは何も読み取れない。彼女は侵入者に尋ねた。 「あなた、どなた?」  侵入者は答えた。 「泥棒です」 「泥棒……さん?」 「螺旋塔のてっぺんに閉じ込められた姫君を救出するため、ここにやってきました」  その言葉を聞いて、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は再び唾を飲み込んだ。 「そのために、わざわざ? あいつらに見つかったら、殺されるというのに!」  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の言う「あいつら」とは、この螺旋塔に彼女を閉じ込めた連中である。 「あいつらの仕掛けた罠は、こっそり解除してきました。そういうのを外すのが仕事なもので」  なるほど、泥棒ならば、そういうのを掻い潜るのはお手の物だろう。だが、まかり間違えば終わりだ。螺旋塔の周辺はトラップだらけなのだ。命が幾つあっても足りない。それでも、その無数の罠を突破してきたというのなら、大したものである。  しかし、そんな大変な思いをして螺旋塔に来たのは、どういう目的か? 自分を救出したいと言っているが……ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は、その言葉を嬉しく感じる反面、胡散臭さも嗅ぎ取っていた。泥棒を自称する侵入者の狙いは、何なのか?  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は泥棒を名乗る不審な侵入者――不審ではない侵入者がいるとしての言い方だが、どうかご容赦のほどを――に強い口調で質問した。 「わたくしを助けて下さるとのことですが、本当の狙いは何なのです? あなたは一体、何者なのですか?」  泥棒を自称する黒装束の侵入者はクスっと笑ってから答えた。 「わたしがやってきた本当の目的は、あなたの力を利用したいからですわ。あなたが持つ呪いの力を、個人的な理由で……つまり、悪用したいんです」  正直な言葉だった。ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は思わずクスリと笑った。 「泥棒のお手伝いはできませんよ。いつか必ず覚えるとも約束できませんけど、それでもよろしいですか?」 「もちろん、構いませんよ。わたしだって、ずっと泥棒をやり続ける気持ちがありませんから」  そう言う黒い服を着た青い瞳の女侵入者に、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は名前を尋ねた。 「よろしかったら、お名前を教えて下さいませんか?」  名前を名乗る泥棒は珍しいが、なくはない。今回も、そんな稀なケースに該当する。女侵入者は言った。 「わたしの名前は、アンシャリーティ・ルパンエ。今は泥棒を名乗っていますが、前職は悪役令嬢ですことよ」  噂に聞く悪役令嬢を、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は生まれて初めて見た。 「悪役令嬢というのは、泥棒までやるのですか?」  聞かれた元悪役令嬢は答えた。 「悪役令嬢をやり続けるために、変わらなければいけなかったのよ」  それからアンシャリーティ・ルパンエは言った。 「詳しい話は後からにしましょう。まずは、ここから早く逃げ出しましょうよ。早くしないと、あなたをこの螺旋塔に閉じ込めた連中が気付いて動き出すわ」  現に<空間の歪む時間の幽霊>と呼ばれている超自然的な存在は、侵入者の気配を察知し警戒を強めていた。その動きは<空間の歪む時間の幽霊>を螺旋塔の周辺に配置し侵入者とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫の脱出を防止している連中の気付くところになるのは明らかだった。その前に逃げ出そうというのがアンシャリーティ・ルパンエの考えだ。 「でも、どうやって? わたくしは魔法を使えますけど、それは螺旋塔の最上階だけです。それに、ここから外に出たことがありません。どうしたらいいのか、分からないのです」  そう言うローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫にアンシャリーティ・ルパンエは説明した。 「今から脱出用の魔法で動く機械を召喚します。それに乗って逃げるの。だけど、わたしの魔力だけでは、自分一人が乗って逃げ出すのが精いっぱい。あなたの分は、あなた自身の魔力で何とかして」 「何とかならなかったら、どうなるのかしら?」  もっともな疑問だった。アンシャリーティ・ルパンエは率直な答えでローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫を不安がらせた。 「塔から落ちて死ぬかも。墜落死の経験はある?」  あるわけないだろ、とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は思った。 「今のところ、それは無経験です」 「それは良かったわね。あたしは、何度もあるの。こんな高い塔のてっぺんに閉じ込められたことが何度もあってね。逃げ出そうとして」  ちょっと引いてしまうような、そんなことを言いつつ、アンシャリーティ・ルパンエは左腕のブレスレットを擦り、それから短い呪文を空に向けて唱えた。 「何が起こるの?」  そう尋ねたローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫に、アンシャリーティ・ルパンエは天空の彼方を指差して見せた。 「北の方から雷雨が来るから、それで逃げる」  何を言ってんだコイツ、とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は思った。すると北の方から落雷の轟音が鳴り響いてきた。その音が次第に近づいてくる。やがて空が一瞬、ピカッと光った。 「ここよ」  アンシャリーティ・ルパンエがそう言うと、その目の前に光る板が四本現れた。 「これは魔法のスキー板。これに乗って空を滑空するの」  スキーなんてやったことのないローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は、正直ビビった。しかしアンシャリーティ・ルパンエもスキーの経験はないが魔力で乗りこなしていると聞いて、覚悟を決めた。  そんなローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫にアンシャリーティ・ルパンエは言った。 「持って行きたい荷物があったら、言って。替えの服とかなら、何処かで買えばいいけど、大切なものがあるなら」  何一つなかった。身一つで逃げるとローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫が言うと、アンシャリーティ・ルパンエは頷いた。 「それがいいわ。これから先、あなたは好きなものを何でも手に入れると思うから」  二人はスキー板に足を載せた。アンシャリーティ・ルパンエは言った。 「それじゃ、まず心の中で祈って。旅の安全を、ね。それから、わたしが言う数字を繰り返して言ってね」  祈りを済ませたローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫に、アンシャリーティ・ルパンエは八桁の数字を教えた。 「そこが転移座標の簡易パス。魔法のスキー板に言うと、自動的に連れて行ってくれるから。その間に、わたしの話を聞かせてあげる」  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫が教えられた八桁の数字を呟くと、光る魔法のスキー板が点滅した。 「それが入力完了の合図。それじゃ、前傾姿勢になって。後ろに体重がかかると、落ちそうになるからね」  アンシャリーティ・ルパンエがそう言った直後、スキー板は急加速で発進した。ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は引っくり返りそうになったが、永い幽閉生活でもトレーニングを怠らなかった効果が出て、前傾姿勢を取ることができた。急発進したスキー板は螺旋塔とバルコニーから宙に飛び出すと、凄い速度で空の彼方へ向かった。  目的地に着く間、アンシャリーティ・ルパンエは自分の身の上話をローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫に聞かせた。 「あたしは実家の没落と共に死ぬ運命を繰り返す令嬢なの。家と自分を救うため、玉の輿を目指す! とやってきたけど、頑張ったって毎回、最期は悲惨で終わるの。そして、死のループが繰り返されるってわけ。バカバカしくなってね。玉の輿を目指すんじゃなくて、別のやり方で運命の円環を脱しようと決めて、色々やってみたら、魔法が性に合って。それと泥棒ね。この組み合わせなら、何とかいけるんじゃねって思うんだけど……まだピースが足りてないの。玉の輿に乗るための」  玉の輿を目指すのは止めたんじゃないのか? とローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ姫は茶々を入れたくなったが、余計なことをいうとスキー板から落ちそうな気がしたので黙っていた。 「それが、あなたなの。わたしに必要な最後のピースが」 「わたくし?」  自分のことが出てきたので、これは訊かざるを得ない。 「何なのです、わたしくが最後のピースって言うのは?」 「もうすぐ目的地だから、そこで分かる」 ・実家の神社で祀っている神様に求婚された。しかも元々は、幼い頃に私の方からプロポーズしたらしくて!?  私は迷惑に思った。元々は、幼い頃に私の方からプロポーズしたらしいけど、全然覚えていない。それなのに、求婚されたって、本当に困る。私、もうすぐ結婚するし……もう、彼になんて言えばいいの! これで婚約破棄でもされたら、たまったもんじゃない!  私は事情を説明した。でも、実家の神社で祀っている神様は諦めなかった。 「嫌だ、俺はお前と結婚する。絶対だ。お前の婚約者から、お前を奪ってやる」  私は全身から力が抜けていく感覚に襲われた。私に求婚している神様は、イケメンかもしれない。でも、私が好きな人は、もっと素敵だ……まあ、そんなに格好良くないけどね。でもでも、好きなの!  なんとか説得しようとしたけど、ダメで、私は泣きそうになった。そのときだ。 「お邪魔します。ローザ、呪いをよろしく」 「あいよ」  私の目の前にファンタジー世界っぽい格好をした二人の女が現れた。女の片方が実家の神社で祀っている神様に向かって変な踊りを見せると、神様は気を失った。 「これで呪いがかかった」 「凄いね」  そんな会話をする二人に、私は尋ねた。 「あの、どちら様でしょう?」 「わたしは悪役令嬢で泥棒のアンシャリーティ・ルパンエ」 「あたくしは呪いの力を持つせいで幽閉されていたお姫様、ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグ」  自己紹介を終えた二人は、わたしに説明した。この神様の身柄は、しばらく預かる。そして、じっくり洗脳し、自分たちの言う事を聞くようにする。 「それがうまくいったら、あなたは安心して結婚できるから」  ローザ・ルクアイーレ・ルクセンブルグと名乗る自称お姫様は、そう言ってウィンクした。それはありがたいが、実家の神社で祀っている神様が消えてしまうのは困ると言うと、悪役令嬢で泥棒のアンシャリーティ・ルパンエは大丈夫と言わんばかりに片手を振った。 「わたしは、この神様と結婚するの。でも、別居婚の予定だから、神様はこちらへ戻すわ。ただ、その前に一仕事してもらわないといけない。この神様の力を借りて、繰り返される死のループを脱出したいの。この玉の輿なら、きっとうまくいく。相手が神様だもの、これ以上の玉の輿はないよ」  物凄く自信たっぷりにアンシャリーティ・ルパンエは言った。意味は分からないけれど、神様が私を諦めてくれるなら、それでいいかな。私には、他にも切らなければならない男たちがいる。そいつらのせいで玉の輿の結婚がパーになったら、たまったもんじゃない。  二人は意識を失った神様を担いで消えた。
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