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何度も何度も
まだ幼稚園にもならない頃に、父親のDVが酷くて、母は家から逃げた。
ちゃんと、私の事も連れて。
でも、父親は執拗に追ってくるので逃げ場所に困って母は行政でやっているシェルターに逃げた。
その後、自分の生活を立て直すためと、父親の目をごまかすために私は児童養護施設に預けられた。
あの日。
父親に殴られても蹴られても、母がいれば幸せだったのに。
私の心の中は雨が降りびしょ濡れになった。
児童養護施設での生活はたまたま大きい子が多かったのか、私がちょうど乳児院に入るよりは大きく、児童相談所に入るぎりぎりの大きさだったこともあって、急に大きい子供達との生活が始まり怖かった。
問題を抱えた子供が集まり、大声が飛び交う施設に、私はなかなかなじめなかった。
私の視界は涙でいつも濡れていた。
あの日。
施設の職員が、泣いてばかりいて、食事すらままならない私を抱きしめて、一人だけ特別におにぎりを作ってくれた。
初めて顔をあげた私に、母のような微笑みを見せてくれた職員の女性は、私の心と目の前の雨が上がるきっかけをくれた。
自分の中の雨が上がった私は、段々と施設にも慣れ、大きい子供達は声は大きくても、乱暴ではなく、とても幼い私に優しくしてくれることも分かった。
段々と施設の生活には慣れたけれど、心の片隅にはいつ迎えに来てくれるかわからない母の姿がいつも雨の降る傘の下に残っていた。
私が小学6年生になった年。児童養護施設に預けられて9年目の事。
心の片隅にいた母の顔を忘れそうになった頃に、思いがけないことに母が迎えに来てくれた。
あの日。
私の心の中の雨はすっかりと晴れ、ちょうど、雨上がりの時だった。
まだ濡れている道路に母と私の二人で出て行き、これからは、母との楽しい生活が待っているのだと、ウキウキと弾んだ気持になった雨上がりの中の、湿っているけれど、良い匂いのする空気の中を歩いた。
でも、母に連れられて家だと言われたアパートに初めて入った時に、あの男がいた。あの幼い日に逃げたはずの男が。
この男の為に私は児童養護施設に入っていたはずなのに。
心の中に暗雲が立ち込めた。
あの日
私の予想は当たった。
またあの幼い日の続きが始まった。
母は、昔のように私をかばってはくれなかった。
自分が暴力の的ではないことに安心している様だった。
せっかくの明るい道を歩いてついた先は、暴力の嵐が吹き荒れる自宅だった。
私は自宅に戻って3日目に父親が眠った隙を見て、母が仕事に出ている間に自宅を逃げ出し、児童養護施設に向かった。
施設に着くなり、私は気を失ったようだ。
目を覚ますと病院で、腕と肋骨の骨折と、多数の打撲痕が認められ、保護措置として再び児童養護施設で暮らすことになった。
迎えに来てもらってたった3日間で変わり果てた私の無残な姿に、児童相談所の職員が涙した。
私はもう泣かなかった。
自分で自分の道を探して生きていくことに決めた。
高校生まではこのまま施設にいることができる。
その間に自分でできる何かを探すんだと決めた。
もう、心の片隅で雨に濡れている母親も見えなくなった。
退院の日、きっとさっきまで雨が降っていたんだろう。
母が迎えに来て施設を出た日と同じ、雨上がりの濡れた道路に立った。
私の心からも雨が上がり、暮らしなれた家(児童養護施設)へ帰る私の未来には明るい空がどこまでも続いていた。
【了】
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