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戸部くんは尊い
ブラックアウトの夜に起こった、私の推し活事情変化・実況報告についてお話しします
私の名前は風夏といいます。私は戸部くん推しです。
戸部くんは大学の同級生で、同じサークルなんです。ここ2年間ずっと私は戸部くんに片思い中なんです。戸部くんは、超絶イケメンでめっちゃモテるんですよ。女の子と付き合っては、直ぐ別れて、また次の女の子と付き合ってます。理由は知らないけど、戸部くんは女の子と長続きしないらしいです。
え? 風夏ちゃんは告白しないのかって?
――ムリムリムリ!!!!!!
私は戸部くんに女として見てもらえてるかも怪しいですよ。
私は、鼻から戸部くんと付き合うのは諦めてますよぉ。
だって、戸部くんが付き合う女子はみんな可愛いか、美人さんなんです。
私は普通ですからね。ブスでもないですよ。普通です。取り柄はボチボチおっぱいが大きいことですかね? でもそのせいで、可愛いブラジャーがなかなかないし、洋服も可愛いのが着られないんです。それでいつも同じようなダボダボのしょうもない服きているので、冴えないおばさんみたいで悲しいです。それで足のラインは出すようにしてます。上下ともダボダボじゃヤバいですもん。私は脚が案外綺麗なんです。
それでたまに大きなおっぱいや脚の好きな男が寄ってきます。その手の男はもちろんお断りしますよ。だって告白する時、私の顔を見ないで、おっぱいや脚をみているんですから。もう! 信じられないでしょう?
そんなわけで、私は戸部くんを諦めているんです。
でも好きは諦められないので、戸部くんを推しとして崇めているのです。
戸部くんの推しを続けてもいいですよね?
密かに戸部くんを推して、陰から愛でるなら、ストーカーではないはずですよね?
私は推しに、推しているのをバレないように心がけています。
――戸部様と関わる時は、平静を保ちつつフレンドリーを心がけ、常に平常心で接する。気がある素振りは極力控える。
推しを怖がらせてはいけませんから。グイグイ迫るファンは怖いですもんね。
だから私がこんなに推していても罪にはならないですよね?
何でそんな事を聞くのかって?
それはですね。今私は、戸部くんを愛でている真っ最中なんですよ。
――尊い! しんどいですぅ……。こんなに戸部様のお近くにいても良いのですか?
大はしゃぎしている私に、今現在何が起こっているか、おわかりになりませんものね。
では状況を説明しましょう。
戸部くんと私は、今同じ電車に乗っているんです!
私も戸部くんも、アパートを借りてひとり暮らししているんですけど、借りたアパートの位置が偶然近かったんです。それでサークルの飲み会の後は、戸部くんと同じ電車で帰ることが、比較的多いんです。しかもサークル内で、同じ付近に住んでいるのは、私と戸部くんだけなんです。もちろん他の乗客はいますが、二人きりと言えなくもない状況です。かなり嬉しいです。
もっと嬉しいのは、飲み会の終わるのが遅くなった時は、私のアパート前まで戸部くんが送ってくれるんです。戸部くんは優しい人ですね。戸部くんにとってモブキャラ程度の私まで送り届けてくれるんですもの。
――そんな時はドキドキ・キュンキュンしますね。
恋しているだなぁって実感しまくりです。
ずっとこのまま戸部くんと一緒にいたいって思うんです。
私の至福の時間です。
でも、戸部くんの方は、私のことをなんとも思ってないのは、ひしひしと伝わってきます。
――義務感で送ってくれてるんだなぁって。
だから前回から、送ってもらうのはお断りしてます。
推しに家まで送って貰うなど、尊過ぎますからね。
自重しようと思いまして。
身の程をわきまえようと思った次第です。
さてそろそろ私の降りる駅です。
戸部くんはお隣の駅なので、ここでお別れです。
――切ないです。
ところで『わざわざ1つ前の駅で降りてまで、戸部くんが風夏をアパートまで送ってくれてたのは、風夏を好きだからじゃないの?』と言う疑問が湧いたかもしれませんが、 チチチ(舌打ち)違います。
ここは東京の端とはいえ、東京ですからね。
駅と駅が近いんです。私たちの最寄り駅の間は、2キロも離れちゃいないんです。
私のアパートから戸部くんのアパートは、そこそこ近いらしいです。最寄り駅が違うだけで、住んでいる地域は同じですからね。
『らしい』って言うのは、戸部くんの家が何処か、私は知らないからです。戸部くんがそう言っていたので、そうなんじゃないかなぁ? と思ってます。
電車のスピードが緩まって、電車が停まりました。
私は笑顔で「じゃ、また今度の水曜日ね」と言いました。水曜日がサークルの日なんです。
「送るよ。俺もこの駅で降りるよ」
優しい戸部くんが電車を降りようとしてくれます。
――尊い。
もちろん私はお断りします。好きでもない女を送らせては申し訳ないですからね。そして戸部くんの彼女にも申し訳ないですもん。
「良いよ、戸部くんが遠回りになるし。明日、朝からバイトなんでしょう? 悪いからいいよ」
私は背中を戸部くんにむけて、電車の扉に向かいます。
ほどなくして扉が開きました。
乗客がゾロゾロと電車から降りていきます。降りる乗客が多くて、私は乗客に押されながら、ホームへと流されて行きます。私はちょっとだけ電車の中の戸部くんを見ます。戸部くんと目が合いました。戸部くんは、電車を降りる私を見ていてくれたんですね。それだけで萌えます。しかも戸部くんのお顔ときたら、いつ見ても素晴らしいです。
――眼福。
その時です。
携帯が唸り始めました。
――ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。
私の周りの乗客の携帯も一斉に鳴り始めました。
――ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。
誰かが叫びます。
「しゃがめ。頭を抱えろ! 座れ! 頭を低くしろ!」
誰かが叫んでいます。
「ギャ――――――。揺れている!」
「あ、地面がぁ」
人の声がざわめきます。
――ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。
携帯のアラートは鳴り止みません。
私の心臓は潰れそうになりました。
(怖い)
思い出してしまうのです。
瓦礫が道に飛び散り、停電に震えて、ラジオの音だけを頼りに過ごしたあの日を思い出してしまうのです。
私はプラットホームに一人しゃがみ込みました。
私の前に背中が見えます。
沢山の人がしゃがみ込んでいます。
一方で、しゃがみ込んだ人の脇を、小走りに階段へ急ぐ人たちもいます。
その人たちに向かって、野太い男の声が怒鳴りつけます。
「しゃがめ。頭を抱えろ! 座れ! 頭を低くしろ!」
地面がグラッと揺れました。
――ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。 ブブブ 地震です。ブブブ 地震です。
頭の上で看板が大きく揺れ始めました。
ブランブランと、駅名を印字された看板が揺れていました。
視線を頭上から電車に移すと、止まったままの電車も揺れていました。
海の上で波に煽られる舟みたいに電車が揺れて、電車の中の乗客が電車から降りようとしていました。
(怖い。怖い)
放送が流れます。
――落ち着いて行動してください。頭を守ってください。落ち着いて行動してください。
それに呼応するように男性が叫びます。
「しゃがめ。頭を抱えろ! 座れ! 頭を低くしろ!」
揺れはなかなかおさまりません。
(怖い。怖い。怖い)
頭を抱えて地面にしゃがみ込んだ私は、心臓が潰れそうでした。
背中を叩かれました。私は身を縮め、ビクッと身体を揺らしました。
「大丈夫か?」
私が、声のした方に視線をおくると、戸部くんでした。戸部くんの顔を見て、私は気が緩むのを感じました。
「行こう」
困り顔の戸部くんに、私は「探してくれてありがとう」と言いました。
戸部くんは小さく頷き、もう1度「行こう」と言いました。
「行こうって……」
周りの人たちはまだ地面にしゃがみ込んでいます。
「もう揺れはだいぶ落ち着いたし。駅から出よう。次の揺れが来て、天井でも落ちたら危ないから」
私は戸部くんに腕を上に引っ張られて、立ち上がります。
するとまた声がしました。
「しゃがめ。頭を抱えろ! 頭を低くしろ!」
私はその声に、またしゃがもうとしました。
「体勢を低くして、頭を両手で守ればいいだけだ。カバンを頭にのせて」
戸部くんがそう言うので、私は背負っていたリュックを頭に載せて歩き出します。
私と戸部くんは、プラットホームを抜けて階段を上がり、改札をくぐって駅の外に出ました。
私は改札を出て「あぁー」と声を洩らしました。
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