戸部くんは尊い

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戸部くんは尊い

 ――真っ暗だったのです。    戸部くんが「停電しているな」と言いました。  車のライトとマンションの非常灯以外、街に灯りはありませんでした。  「マンションの非常灯が消える前に帰ろう」と戸部くんが言いました。  私と戸部くんは、暗がりを歩き出します。  「信号機もついてない」と私がいうと、「そりゃそうだろう。車が追突しないといいな」と砥部くんが言いました。    駅から200メータも歩いて、私が戸部くんに声を掛けました。  「ここでバイバイだね。戸部くんは、そっちの道から帰ったほうが早いんでしょう?」  戸部くんのアパートのハッキリした位置を知りませんが、なんとなくの方向は知っていたので、気を使って言葉を掛けたのです。  なのに戸部くんが「いや、アパートまで送るよ」と言います。  「良いのに」と私がいうと、「停電して、こんなに暗いんだ。女の子一人じゃ危ないよ」と言いました。  確かに辺りは暗く、痴漢に合いかねないと感じました。  私は戸部くんに悪いと思いながら「申し訳ないけど、送ってもらおうかな」と言って、戸部くんの顔を見ました。  でも戸部くんの輪郭しか見えません。ただそこに戸部くんの顔と身体が、薄墨色に見えるだけでした。そこで、目を凝らしても、暗くて薄っすらしか戸部くんの顔は見えませんでした。    戸部くんの顔さえ見せてくれない停電に、私は『心を折るなぁ』と思いながら歩き出します。  戸部くんも私の脇を歩きます。    並んで歩けて嬉しいはずだけど、私は暗いと人より見えなくなるので、暗がりが苦手です。だからこの状況を手放しで喜べず、足元ばかり見て、細心の注意を払って歩くしか無く。一生懸命地面を見るけど、それでもあまり見えないし。今頃お酒が効いてきたのか、体が上手に動かせなくて、――最悪です。  絶対つまずかない!  私はそう念じながら、足を一歩前に出しては、また一歩出してと、確認するように歩きました。  ――なのに!  躓きました。私の身体はガクンと落ちて、地面に体がもっていかれちゃいました。  私は戸部くんにこの姿を見られていないか確認するため、瞬時に視線を戸部くんにむけます。  戸部くんが私を見ていました。地面に落ちながら私は思います。  ――こんな姿をお見せして。恥ずかしい。くそぉ。私の体は地面に打ち付けられるぅ。    そう思ったら、私の体はその場で留まりました。  ウエストに戸部くんの腕がありました。  地面へ叩きつけられる前に、戸部くんに救われたようです。  無様な格好で戸部くんの腕に支えられてつつ、私は礼を言いました。  「ありがとう」  戸部くんが私の身体を立て直し「大丈夫?」と聞いてきて、私は真っ赤になりながら「平気」とだけ答えました。  真っ暗だから、私が真っ赤になっているのは、戸部くんに分からないはずです。  ――停電で良かった。    私は気を取り直し歩き出します。  すると戸部くんが私の腕を掴みました。  「え? 何で腕を掴むの?」  私は腕を掴まれて、心臓がドキドキしてます。  「また転びそうだから。かなりふらついているしさ」  「あ、そうだったんだ。分からなかった」  「こんなにフラついて、自分で分からないのは、ちょっとヤバいよ」    私は反省しちゃいます。  「飲み過ぎですね」  「そうだと思う。嫌じゃなきゃ、俺の腕にしがみついてよ」  「いいの?」  「良いよ。転ばれたら困るから」  私は戸部くんの腕を手で掴みました。  ――ううう。一生の思い出にしよう。  私は、憧れの戸部くんと腕を組んでいます。  嬉しすぎて、心臓バクバクです。    「えへへ。腕くんじゃった。嬉しいな」  まずい。心の声が、出ちゃいました。  戸部くんが「え? 嬉しいの?」と聞いてきました。  ――あ、キモいって思われたかな?  私はどう答えていいか分からなくて、無言です。  「じゃ、俺たち付き合っちゃう」  私は驚きのあまり、つい「えっ!」と言ってしまいました。  「あ、やっぱり俺じゃダメかぁ。風夏は、俺に気がある感じは全く無かったから。風夏とは友達止まりだと思って接していたんだ。でも、風夏が嬉しいって言うから……、つい俺は嬉しくなって誤解をし……」    私の『えっ!』に戸部くんは誤解したようです。  ――誤解は解かねばです!    「違う。違う。違う。 あの、戸部くんは、確か彼女がいたんじゃぁ」  「いないよ。 1月前に振られたから」  「振られたの? え? 戸部くんを振る女がいるの?」  私には、(にわか)に信じがたい話です。    「あ、ああ。あの。もしかして俺のことを、イケメンとか風夏も思っているの?」  「そりゃ、イケメンだから。そう思うでしょう?」  私は戸部くんに、家に鏡がないのかと聞きたくなりました。  ――自分がイケメンなのは、鏡を見たらわかるでしょう?    「俺は、そう思った事ないし。なのに、どんどん女が寄ってきて、告白されて……。高校までは全部断ってきたけど、大学に入ってから、俺もなんとなく女子と付き合いたくなって」  戸部くんの声がもじもじして可愛いです!  私は「そうなんだ」と合いの手を入れました。    「告白してくる女の子の中から、この女子(ひと)で良いかなと思う女子(ひと)と付き合うんだけど。すぐに振られるんだ」  「どうして振られるの?」  ――もしかして不能とか?  「会話が面白くないらしいんだよ。遊びに行っても面白くないみたいで。あげく私のことを好きじゃないでしょうと言われて」  「はぁ、なるほどね」  確かに、そこまで戸部くんのお話は面白くないです。  「向こうから寄って来て、付き合うと直ぐ振られて……。意味がわからないんだ」  イケメンも苦労があるのだと思いました。  戸部くんの悩みを聞きながら、私は戸部くんの表情がみたいなと思いました。どんな表情で、戸部くんはお話をしているんでしょう? 気になって仕方ないです。  でも停電で暗くて、戸部くんがどんな顔をしているか、私には全く見えないんです。  声の様子からすると、絶望して聞こえました。 「酷いと思わない。良いなと思って付き合って、だんだん俺が彼女を好きになって来たら、俺を振るんだ」    やはり私は、戸部くんがどんな表情をしているかみたいです。  暗くてよく見えないのです。    「どうせ振られるなら、今度は俺から好きになった女の子へ告ろうと思ったけど……」    戸部くんの表情が見たいです!  きっと切なげな顔をしているに違いありません。  切なげな戸部くんも愛でたのです。  でも見えないのです。    戸部くんが「玉砕かぁ。やっぱり風夏も俺との会話はつまらない?」と言った時でした。  いきなり戸部くんの顔が、はっきりと見えました。  ――眼福です。ちょっと切なげな戸部様のお顔が素敵です。  停電が終わったのでしょう。  街頭の照明や家々の窓に、灯りが戻ってきました。  戸部くんが私から腕を解いて、辺りを見回しました。  「停電が終わったんだ」  「停電が短くて良かったね」  戸部くんが携帯電話を出して、ニュース画面を開きました。  「震度5強だって。震源地が近かったんだな」  「震源地は何処だったの?」  「東京湾。バイト先から安否確認メッセージきてる。返さなきゃな」  戸部くんは何か携帯を操作しています。    「ところで。戸部くんは、私の何処が好きになったの?」  戸部くんが携帯を操作しながら「そうだな。話が合うところでしょう」と答えました。  ――私と戸部くんは、話が合うんだ? 知らなかった。  「それと顔が好きだな。表情がクルクル変わって可愛い」  ――良し、合格。おっぱいや(あし)が好きと言っていたら、流石の戸部様でも不合格だったよ。  「あと、おっ」  ――聞かなかった事にしよう。  私は戸部くんの言葉を遮りました。  「いいよ。付き合っても。でも浮気だけはしないで欲しいな。浮気されたら心臓が爆発しちゃう」  「フフフ、冗談を言っているの?」  戸部くんは携帯から目を離して、笑顔で私に顔をむけました。  「それと俺は浮気しないよ。浮気をことはないし。浮気されたことしかないから。俺は好きになったら一途だと思う。むしろ束縛しちゃうかも」  ――しんどい。この笑顔、マジ眼福。でも素敵すぎてしんどい。束縛されたい。いや束縛したい。しかし、戸部様は女に浮気をされたのか? んん?    その時、また灯り徐々に消えて行きました。  「あ、また停電か……。はやく完全復旧するといいな」  「いや、しばらくこのままで大丈夫です」  私は戸部くんの顔を見続けるのがしんどくなってしまったのです。停電ならお姿をうっすらしか見えないからちょうど良きです。  ぼやくように「いつまでも電気が復旧しないと困るだろう?」と戸部くんが言いました。  私は「そうだけど……」と答えながら、真っ暗になって目が効かないのと、酔いが重なって再びふらついてしまいました。  すると戸部くんが私の腕を再び掴んで「確かに、停電も良いかもしれないね。キスしちゃう?」と言うので、私は「ダメダメ」と固辞しました。    戸部くんは「ダメなのか……」とがっかり気味に言いました。  「ダメじゃないけど、今日は腕組みまででお願いします。いっぺんに色々なことをされると、私の心臓がドキドキし過ぎて止まるから」  戸部くんが訝しげに「マジな話なの?」と聞いてきます。  私は「マジですよ」と強く答えました。  私の返事が冗談だと思ったのか、戸部くんは急に笑いだして、私の腕を抱えて歩き出しました。  こうして私は、私の推しである戸部くんとのお付き合いは始まったんですが……。  しんどい。  心臓がもちません。  ――推しで彼氏の戸部くんが尊すぎます――  ――fin――
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