6人が本棚に入れています
本棚に追加
梟はその翼を広げる(8)
ビンタ事件は「家出事件」へと発展し、長期戦となっていた。
ビンタ事件で引き起こされた実害はそれほどでもなかった。
栄一から平手打ちされた郁恵の首の骨が折れたわけではないし、一撃くらった郁恵が反撃というかたちで、自らの父へ殴る蹴るの暴行を加えたというのでもない。
では、郁恵が消えた家はどうなったのかというと……。
娘の一人が出ていってしまった影響の大きさを栄一は認識するや、罪悪感から塞ぎ込み始め、光恵は娘に手をあげた夫を許せず、彼の食事を作るのをやめてしまった。
栄一が昼に食べる弁当はなくなり、彼には夜食が出るといったこともなくなった。
夫婦間の冷戦で、割りを食ったのは残された郁恵の妹・文恵である。
ただ……妹は姉の気持ちがわかったゆえ、「一方的に出ていった姉ちゃんに全部の責任がある!」と考えてはいなかった。
これには理由があった。
「……誰のおかげで、お前らは生活できてると思ってんだ? 俺が働いてっからだろ? ……ありがたく思え! この、能無しどもが!」との栄一の横柄な態度に郁恵ほどではなかったものの、文恵も段々と反感を抱きつつあった。
父ちゃんの言いたいことはわかるけど……そんなにあたしたちって、邪魔なのかな、生まれてきたのが迷惑だってことなのかな……と、文恵は感じていたのである。
光恵は我慢に我慢を重ねての大爆発をした郁恵の思いがとても理解できたため、母と残った娘・文恵は同盟を結び、父のいないところで話し合った。
この母は家出した娘・郁恵を見捨てるつもりはなかった。
それゆえ母と娘が裏で手を組んだことにより、ビンタ事件と家出事件の非難はすべて栄一ひとりに集中してしまった。
栄一は「自分はとんでもないことをやってしまった」と自責の念に駆られ、妻からは何をされるかわからないといった恐怖心を抱き、心労によって倒れそうになりつつも、自らを痛めつけるように飲まず食わずでの勤務を続けていた。
「あれは、やりすぎだった、俺が悪かった」と、栄一は反省していたが、光恵はほとんど口を利いてはくれず、郁恵の行方はわからぬままで、文恵は母寄り・姉寄りであった。
最初のコメントを投稿しよう!