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この5年の間、沙希にとって色々な事があった。
一番は両親の介護。父が脳梗塞をおこし右半身に少し麻痺が残り、毎日の生活が不自由になった。
しばらくは、母がヘルパーさんの助けを借りながら自宅介護をしていた。沙希も仕事の都合をつけながら、母の手助けをした。しかし、大柄な父を小柄な母や沙希が世話する事に無理があった。腱鞘炎やぎっくり腰等、介護する方の身体が壊れてしまった。
「母さんと沙希が私の為に頑張ってくれている事、本当に感謝しているよ。でも、このままでは共倒れになってしまうね。今とは違う形の生活をもうちょっと考えようよ」
父は何時も物事を建設的に考える人だった。
この生活は長く続けられない。先の見通しなく、やみくもに頑張っても世話をする方の身体を壊してしまったら、そこでおしまい。
どういう形で生活するのが一番良いのか、どんな形が一番幸せなのか、それを皆で話し合った。
その結果、父と母が一緒に住める介護付き高齢者住宅に引っ越す事になった。父ひとりで介護施設に入るという方法もあったが、最後まで一緒に暮らしていたいという二人の強い希望で二人一緒にそこに引っ越す事になったのだ。
二人の長い結婚生活の中で、母は父を残して家をあける事は殆んどなかった。父がまだ仕事をしていた頃、沙希が娘達と女子4人で旅行に誘った時、父は「たまには羽を伸ばして行っておいで」と言っていたが、母は「お父さんが淋しがるかもしれないから、何日も家を空けたくないの」と父をおいて旅行にも行かなかった。
「お父さんと離れて暮らすのはさみしいからね。最後までずっと一緒にいたいのよ」
母は何時もそう言っていた。
沙希のマンションから仕事場である博物館の間、同じ路線上の高齢者住宅に入ることができた。仕事の帰りに両親の元に寄り一緒に夕食をとったり、おしゃべりしたりして帰宅する。時々、光希や沙恵もそこで待ち合わせて一緒に過ごした。
両親と娘達との幸せな時間だった。
そして本当に仲の良かった両親が亡くなった。二人とも90才を越えていた。
穏やかな最後だった。
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