第13話 Love is the sickness

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第13話 Love is the sickness

 ハルは指についたハンバーガーのソースを美味しそうにペロッと舐めた。  それから僕にナゲットを勧めて、自分はマスタードソースで食べるから、バーベキューソースで食べてよと変な要求を突きつけられる。楽しそうな彼女に僕も笑みを浮かべる。  話は全然変わって、ハルが予備校の模試で化学が全然できなかった話や、流行りのドリンクがどの店舗でも売り切れで飲めない話、それから男友だちの恋愛相談に乗ってる話へと流れていった――。 「それってさ、タルト持っていった日に一緒にいた?」  できるだけ平静を装って、僕は訊いた。  パテの味がしない。  ゴムを食べているようだ。  慌ててコーラで胃に流し込む。 「違うって言ったじゃん」  ハルは大仰に驚いた。座っていたイスが、ガタッと音を立てた。  そんなに動揺する程の間柄ってこと? 「すごく親しそうだったから」 「言えばよかったじゃん、あの日に。本当はつき合ってるのかって。じゃあアキはずーっと、ずーっと、わたしが男と帰るのが普通だと思ってたんだ」 「思ってないよ。でももしかしたらそういうこともあるかもしれないとは少し、思った。彼氏じゃなくても友だちかもって」  チキンナゲットはプラスチックで作られて茶色く塗装された、子供のおもちゃのように見えた。  気まずさはどんどん広がり、その中心がナゲットのような気さえしてきた。  思い切ってつまんで、言われた通り、バーベキューソースをつける。 「⋯⋯マスタード、つけてもいいよ」  ボソッとハルが呟く。  ハルは目を逸らしてなくなる頃合いと思われるシェイクを飲んでいた。紙のストローはそろそろ溶けそうになってるんじゃないかと心配する。 「あのね、アキ。もしもわたしに彼氏がいたら、アキの片想いの相手役に名乗り出たりしないよ」  ハルは一言ずつ噛み砕くように、慎重にそう言った。『片想いの相手役』という言葉にドキリとする。 「ごめん」と僕は謝った。  なにを謝ってるのか判然としない。  でもわかったことは、ハルには彼氏がいないということだ。  バンザイ、ってこういう時は思うのかと思った。  でも実際はなんだかもやもやした。  ハルは誰を好きなんだろう?  あの体育会系じゃなければ、誰を?  翌朝は生憎の雨で、断ったのに母さんが車で送ると言って聞いてくれない。  母さんは気持ちで生きているので、これはあきらめて従うしかない。母さんは父さんにしか止められない。  この前の豪雨と違って、フロントガラスについた霧を吹いたような雨が視界を遮っていた。前方が見えにくくて、母さんは慎重に運転していた。  つまり余計なおしゃべりにつき合う必要はないっていうことだ。  ちょっと安心する。  朝からセンシティブな問題に触れられたくない。  ああ、もうほら、考え始めてしまうと忘れられなくなる。教室に入ったらどうしたらいいんだろう? 皆の反応がここに来て怖い。  僕は『最低』の烙印を押された加害者だ。 「いい、なにかあったら今度はちゃんと母さんに連絡するのよ。嫌になったらいつ帰ってきてもいいんだからね」  おしゃべりをパスしたのに、車を降りようと傘を開きかけた時、一気にまくし立ててきた。  要するに今度はスミレちゃんを頼るなってこと。  母さんが僕を思ってることには感謝している。  でも僕にだってひとりで解決しなくちゃいけない問題がある。  作り笑顔で「ありがとう、行ってきます」と告げた。そんな事態にならなければいい。  雨の日の昇降口はごった返していて、傘からの滴があちこちに落ちて水浸しだ。  なぜかいつもより皆、声が大きい。  子供の声は雨の日に大きくなると聞いたことがある。中学生も適用内なんだろうか?  湿った廊下をどんよりした気持ちで歩く。  あちこちで「おはよう」といつも通りの挨拶が交わされている。その声は、暗い廊下を明るくする。  音もなく雨は降り続いている。  教室に近づくにしたがって、どんどん憂鬱になる。  大体、僕みたいなヤツを好きになるってことがどうかしてる。だって僕は目立たないし。いるかいないかわからない勢だ。  菊池さんはそういうところから発掘してくるのが得意なんだろうか? どんなだ?  アキの姿が目に浮かぶ。 「自分だけが好きな男あるある、でしょ」  なるほど、そういう人もいるのかと納得いく。  教室手前で話をしていた女の子たちが僕をチラ見する。  モテるタイプでもないのに勘違ってるとか、どこかで言われてるんだろうなぁ。  憂鬱になる。 「⋯⋯おはよう」  慣性の法則、ありがとう。僕はなんとか教室に入れた。  佐野が「おはよー!」とテンション上がり目で挨拶を返してくれる。  ざわざわするかと思っていた教室は、傍観者で溢れ、不思議な静けさで満たされていた。  颯爽と、待っていてくれたのか唐澤が僕の席に現れて、ぶっきらぼうに「おはよう」と言った。僕は返事をかえして、暫く相手の出方を待った。なにを言うつもりなのか、待ってみた。  唐澤にしてもとんだとばっちりで、ヒロインは菊池さんひとりだ。なにも言わない、難しい表情をした唐澤を見ている。  僕は多分、この男のことは嫌いではない。実直で律儀な男だということをよく知っている。 「あのさ」  ようやく彼は口を開くと、また難しい顔をして口を噤んだ。 「昨日、放課後、菊池と話をしたんだ」  まぁそんなことだろうと思っていたので、僕は頷いた。 「小石川には『彼女はいない』けど『好きな人はいる』んだと言って聞かせた。でもアイツはそれとこれは別だと言って引かなくて。ごめん、つまり巻き込んだのは俺なのに、なんの役にも立たなかったんだ。申し訳ない」  教室はしんとしていた。  僕たちを見守っていたようだ。  しかし唐澤のボソボソ話す声は皆の耳には届かなかったに違いない。唐澤が話し終えたあともまた、しんとしていた。  そのうちこの話は終わったのだと周囲は認識して、またいつも通りの雑談タイムに戻っていった。  さり気なく探ると、菊池さんはベランダに出るサッシのところで仲のいい女の子たちと談笑していた。  そうだ、笑ってる。  僕はあんなに悩んで、スミレちゃんもハルも巻き込む程に混乱したのに、彼女は普通に笑っていた。なんならお腹も抱えていた。  以前を思い返してみる。  そんな人だったっけ?  ⋯⋯そんな人だった気もする。  何人かの女の子たちとグループを作って、僕には到底計り知れない活動をしている。 『恋愛』もその一環なんだろうか?  机の中を見ると、昨日、置き忘れていったものたちがきちんと詰まっていた。誰にも荒らされた形跡は無い。脅迫めいたメモ用紙が突っ込んであったりもしない。  とりあえず安堵する。  そこに佐野が滑り込むように現れて、興味津々という顔で話しかけてきた。 「唐澤、なんだって?」  そのことか。 「なんでもない。唐澤は菊池さんの幼馴染なんだよ。だから少し責任感じてるっていうかさ」 「ふぅん。それこそが愛じゃないの?」 「愛!? なにが?」 「幼馴染の恋を健気に応援する姿がさ」  ふふん、と聞こえた気がした。  恋を飛び越して、愛を語るとは恐ろしいヤツだ。でもそれは逆に言えば佐野は恋さえ知らないと見える。  ――気の毒なヤツだ。  いや、そうなのか? 恋を知らないことは気の毒なんだろうか?  無理に傷つくことも悩むこともなく、毎日を平穏に暮らすことができる。睡眠不足になることもない。  となると、もう、恋は病気だ。  そして僕は恐らく病人のうちのひとりだろう。
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