第1話 プロローグ 出逢い

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第1話 プロローグ 出逢い

 第57番世界、通称エデン――始まりの者が57番目に訪れた楽園という伝説からそう呼ばれている――。そこには豊かな土地と鉱物資源、そして強大な兵力で他国に差をつける大帝国――ローズ帝国――があった。その帝国を支配する皇帝の名をローゼス、その右腕となる騎士の名をアルファという。ローゼスは金髪碧眼の青年で、まだ皇太子と呼べるほどに若い、ギリギリ20歳に見えるような見た目だった。目鼻立ちのすっきりとした美男子で、長い手足を少し邪魔くさそうにしている。その服装は白を基調に金糸をあしらった豪華なつくりだった。対してアルファは髪も目も黒曜石のように黒く、服は黒地に銀糸をあしらった騎士礼装で、彼も同じ年くらいの若々しさだった 「のう、我が騎士よ」 「なんでしょう、皇帝陛下」  玉座の間で玉座に腰かけニヤニヤとだらしなく笑うローゼスに対して、その斜め後ろに立つアルファは堅苦しい態度で応える。それが気に入らなかったらしく、ローゼスは声を荒げる。 「その態度はやめいと言っておるだろうが!」 「あなた様は皇帝になられたのです。一臣下がへりくだることの何が気に入りませんか」 「お前は余の側近中の側近。しかも今は2人きりだ。……それに余が皇帝の座につけたのはお前のおかげだろう」 「……だからといって僕が偉いわけではありませんよ。陛下」  多くの国を支配する皇帝の位に立つローゼスにとって、着飾ることなく話せる相手は少ない。その口から1つ言葉が発せられれば、それは国全体の言葉として世界中を走り回る。そのこともきちんと理解しているローゼスだからこそ、何も着飾らなくてもよい“ローゼス”という個人でいられる存在は非常に貴重だ。だからこそアルファにも着飾らないで欲しいのだが、そうはいかない。アルファから見たローゼスは個人であると同時に皇帝であり、その身分の差を弁えないといけないことはわかりきっているのだ。 「……まあよい。それより、街でおもしろそうな話を聞いたのだ」 「街って、またお忍びで出かけられたのですか⁉ お願いですからせめて僕を護衛にと……!」 「ええい、うるさいうるさい! それよりも余の話を聞け!」  こうなったローゼスは自分の言葉を通すまで声を上げ続ける。着飾らなくていい相手だからこそ、そのようなことが許される。それを考えれば、今は自分が聞くしかない、とアルファは諦めた。 「はあ、なんでしょうか、陛下」  アルファは片手で額を押さえたが、ローゼスは満足そうだった。こういう時、ローゼスは面倒な考えを編み出している傾向にある。長くつきあってきたアルファだからこそわかる、特徴的な癖だった。 「最近巷で評判の教団があるらしいではないか」 「ああ、箱舟教団ですね」 「そうだ! なぜそんなおもしろそうな話を誰も余にせんのだ!」  おもしろそうって……と、アルファは頭が痛むのを感じた。ローゼスにそのような話をすれば飛びつくに決まっている。だからこそ誰も皇帝たる彼の耳には入らないようにしてきたのだ。 「まあいい、その教団について探り……」 ――潰せ ◆◆◆  宮殿の外へと出ると、辺りはとっぷりと日が暮れていた。アルファが闇夜を見上げると、ほぼ満月と言っていい月が見える。その表情は見えないが、じっと見られているような気がした――なんとなく期待しているような顔をしている気がするのだ。とはいえ、人々の間では不安を意味する月に期待の目で見つめられても、すぐに表情を変えられると思うと複雑な心境になるアルファだった。 「はあ、やれやれ」  黒いワイシャツと同色のスラックスで闇に紛れながら、文字通り彼の存在も声も認識できなくなる、認識疎外の魔術のかかったキセルの煙を吸い込む。煙が肺を満たし、魔術が体中に染み込むのがわかった。 (陛下はいつも急だ。だが……)  権威が2つになることは避けねばならない。それでは粛清と暗殺と復讐にまみれた先代皇帝の時代に逆戻りだ。あの毎日に、安息というものは全くなかった。民達の目が絶望を湛えているように見えたことがあるのをアルファは忘れられなかった。そして平穏をようやく手に入れたとしても、こうも大きな厄介者をのさばらしておけば、それは簡単に崩れ去る。そうはさせまいと、そしてローゼスの“理想”を実現させるため、アルファはキセルを口にくわえ、箱舟教団本部の敷地に乗り込むことにした。しばらく歩いて本部にたどり着いたアルファは、壁を乗り越えて敷地内に侵入した。 (……?) そしてすぐに、アルファは気づいた。認識疎外をしているとはいえ、あまりにも守りが手薄だということだ。壁を乗り越えても警報1つ鳴らない警備のザルさにアルファは呆れながらも警戒を強めた。 (妙だな。守る気がないかのようだ)  教団には教祖とは別に予言者がいることをアルファはすでに知っていた。ローゼスからの命令が下る前から、教団のことを調べていたからだ。調査の目的はもちろんローゼスの脅威とならないかどうか、だ。そして調べ上げた結果、教祖は権力を振るいたいだけのバカでしかなく、予言者の方が信仰を集めていることにすぐに思い至った。だが予言者は表には決して出てこない。完全に正体不明であり、実像は全く掴めなかった。だからこそ、こうして侵入する必要があったのだ。 (やはり妙だな。……誘いこまれている?)  教祖がいる教団となると警備が手厚いのは想像に難くない。ましてや教祖以外に信仰を集める予言者という存在がいれば尚のことだ。それにもかかわらず、感じ取った限りでこの教団はやけに腕を広げて誰かを待っているような印象をアルファに与えた。そこら中に抜け穴があり、基本的に警備はザルなのだが、突然妙に警備の手厚い場所があった。ひとまずそこを避けていると、地下に地下に導かれているかのようにアルファの足は向かっていた。かび臭い地下へ続く階段の先には古びた牢屋がいくつかあった。 (……ん?) 奥の牢屋に人影があった。アルファは警戒するように口にくわえていたキセルをズボンのポケットにしまった。とっくに火の消えたそれは常に手に持ったり、口に咥えたりする必要なく、ポケットの中などの装身具の中でも認識疎外の力を保つことが可能だ。 (こいつは……)  その牢屋に近づいて見てみると、人影の正体は今時奴隷でも着ないようなぼろきれ同然のワンピースを着た少女だった。見た目から推測して10歳くらいだろうか?  もう少し下に見える後ろ姿は痩せこけていた。鉄格子付きの小さな穴から月を見上げている彼女のお尻まである長い髪は月明りに映える銀色で、手入れをされていなくても美しかった。そんな神秘的な見た目は、自然と目を奪われる。  「…………」  アルファはその姿を茫然と見つめていた。すると少女は振り返った。彼を見たようにも感じられたが、目の焦点は合っていない。その目はこの国では魔王の象徴と言われる血のような赤だった。 「……やあ、こんばんは」  妖しく笑った少女はアルファがいるであろう方向に当たりをつけるようにそう言った。認識疎外が上手くいってないのか? アルファの脳裏にそうよぎるが、少女はすぐに否定した。 「ああ、安心するといい、君の姿は見えていないよ。ただ“視えて”いたんだ。君が今夜ここに来ることは。だから警備の連中も退かしておいただろう? 君には敵わないだろうからね」 なるほど、あの警備の手薄さはこういうことだったのか。アルファはどこか納得した。同時に、思う。 ――未来を視るという噂は本当だった。 ――ならばここで殺すべきだ。 ――ローゼスの脅威になる前に。  アルファは、腰に下げたカバンからナイフを静かに取り出す。アルファと少女との間には鉄格子があったが、そんなもの、ナイフに魔力を込めれば切れるほどにボロボロだ。彼は魔力が生まれつき少ないが、そのナイフは彼の魔力を増幅してくれるものだった。 「ぼくを殺そうか悩んでいるね。でもだいじょうぶ。視えているよ。君はぼくを殺さない」  アルファは無言を貫いた。足音すら殺して鉄格子に近づくと、それをナイフで切り刻み、鉄の残骸と化した。そのままゆっくりと少女に近づく。少女は安心しきったように笑顔だった。 「ああ、そこにいたのか。ぼくを、どうするつもりだい?」  ふふふ、と嗤う少女からは、気味が悪いほどの余裕を感じる。 ――すべて、“視られ”ている。 その感覚にアルファは恐怖した。だが、年端もいかぬ少女を殺すことにためらいがあったのも事実だ。そしてその力は、使い方次第ではローゼスの役にも立つ。だが危険な劇薬には違いなかった……。  ふいに少女は手を伸ばしてきた。背伸びをして、アルファの頬に触れると、ゆっくりと顔を近づけてきた。アルファはすぐに振り払おうとしたが、金縛りにあったように動けなかった。まるで未来を視る赤い目に縛られてしまったようだった。 「逢いたかったよ。ぼくの聖騎士(ナイト)様」  その夜、少女とアルファの唇が静かに重なった。満月だけが、その様子を見ていた。
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