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「すみません、いただきます」
鈴木は茶に口をつけたが、水村はじっと湯飲みを見つめたままだった。思い返すと、さきほどからほとんど口を開いていない。周りがこれだけ騒いでいるのに、いったい何を考えているのだろうか。前田にとって、水村はあまりにも不可解な男に思えた。
「ところで」
西成が話を進める。水村を気遣うような、落ち着いた口調で。
「クレームの原因が『刺青』にあるのは明白ですが……水村先生はなぜ刺青を?」
水村はかすかに顔を上げた。能面のような表情を浮かべており、西成でさえその心中を推し量るのは困難に思えた。
「……刺青って、そんなにいけないものなんですか」
水村はぼそりと小声で尋ね返す。すかさず鈴木が声を荒らげた。
「あたりまえだろ、お前には常識ってものがないのか! 誰だって、刺青を彫っている医者がまともな奴だと思うはずがないだろうよ」
「あの、刺青は業務規程の禁止事項に記載がなかったので、大丈夫だと思ったのですが……」
「お前、上司に対して屁理屈を言うつもりか! 社会的通念って言葉を知らんのか!」
鈴木は立ち上がり拳を握りしめた。反抗を企てる若造が許せないのは当然のことだ。
しかし、鈴木はそれ以上言葉を続けられなかった。なぜなら、水村の主張も一理あったからだ。西成が割って入る。
「鈴木先生、たしかに身なりの規定は難しい問題です。最近では、多様性を尊重する考えが主流になっています。型にはめることの方が批判される時代です」
「でも、西成先生、ここは命を預かる病院です。それぞれの職員には、外から見た印象――そう、受容性を考えてもらわないと」
鈴木は即座に反論した。どちらも間違いではないが、どちらが正しいかと問われても答えはない。西成は水村に意見を求めた。
「水村先生、多様性を認めるとはどういうことか、わかりますか?」
水村は視線を合わせず、なにも答えなかった。西成は同じ口調で続ける。
「規定があれば、身だしなみに問題のある者へのクレームは監督者の責任に置き換えることで当事者を守ることができます。しかし、多様性を認めるということは、本人がすべての責任を負わなければならないのです」
西成の説明を聞いた鈴木はフンと鼻息をもらした。
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