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「それでは、医学部への進学を決めた理由はなんだったんでしょうか」
「たぶん、匠が勧めたんだと思います。どうしてそうなったのかは、ふたりの間の秘密だったのかもしれません」
「兄弟の間の秘密ですか」
「親が立ち入れないほど、仲が良かったんですよ」
母は昔を懐かしむような表情を浮かべた。
「海太君は大変優秀な学生だったようですし、医師としても将来性のある研修医です。優秀なご家庭なんですね」
「いえ、鳶が鷹を生んだようなものです。ただ、海太は匠ほど、体は強くありませんでした」
もう一度、遺影に目を向ける。ふたりを比べると、たしかに遺影の中の青年のほうが水村海太よりも健康的に見えた。
すると母は思い出したように、こんなことを口にした。
「じつは海太の刺青、匠が彫ったんです」
「えっ!? 兄が……ですか?」
「この港町にいる刺青師の鏑谷さんに頼み込んで弟子入りしていたんですよ。匠の刺青も、鏑谷さんに彫ってもらったものなんです」
弟の腕に兄が刺青を彫るなんて、常識では考えられないことだ。
「いったい、どういうつもりだったのでしょうね」
「さあ、匠は自由奔放な子でしたから……。たぶん、海太だけは理由を知っていると思います」
先日、水村海太は鈴木に呼び出されたが、刺青の理由についてなにも語らなかった。けれどその真相は、きっとふたりの関係の中にあるはずだと前田は察した。
「ところで匠さんがどんな青年だったのか、詳しく教えていただけないでしょうか。お兄さんは、ずっと海太君の心に棲んでいるとわたしは思うんです」
前田がじっと視線を合わせると、母は穏やかな表情でうなずく。
「匠がこの世にいた証を聞いてもらえるなんて、母親として嬉しい限りです。少し長くなりますが、お付き合いくださいますか」
「はい、どうか教えてください」
それから母はゆったりとした口調で海太の兄について話し始めた。
まるで彼が今でも漁にいそしんでいるかのような、鮮やかでいきいきとした語らいを――。
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