【第六話 銀輪躍動】

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「それでは、医学部への進学を決めた理由はなんだったんでしょうか」 「たぶん、匠が勧めたんだと思います。どうしてそうなったのかは、ふたりの間の秘密だったのかもしれません」 「兄弟の間の秘密ですか」 「親が立ち入れないほど、仲が良かったんですよ」 母は昔を懐かしむような表情を浮かべた。 「海太君は大変優秀な学生だったようですし、医師としても将来性のある研修医です。優秀なご家庭なんですね」 「いえ、鳶が鷹を生んだようなものです。ただ、海太は匠ほど、体は強くありませんでした」 もう一度、遺影に目を向ける。ふたりを比べると、たしかに遺影の中の青年のほうが水村海太よりも健康的に見えた。 すると母は思い出したように、こんなことを口にした。 「じつは海太の刺青、匠が彫ったんです」 「えっ!? 兄が……ですか?」 「この港町にいる刺青師の鏑谷(かぶらや)さんに頼み込んで弟子入りしていたんですよ。匠の刺青も、鏑谷さんに彫ってもらったものなんです」 弟の腕に兄が刺青を彫るなんて、常識では考えられないことだ。 「いったい、どういうつもりだったのでしょうね」 「さあ、匠は自由奔放な子でしたから……。たぶん、海太だけは理由を知っていると思います」 先日、水村海太は鈴木に呼び出されたが、刺青の理由についてなにも語らなかった。けれどその真相は、きっとふたりの関係の中にあるはずだと前田は察した。 「ところで匠さんがどんな青年だったのか、詳しく教えていただけないでしょうか。お兄さんは、ずっと海太君の心に棲んでいるとわたしは思うんです」 前田がじっと視線を合わせると、母は穏やかな表情でうなずく。 「匠がこの世にいた証を聞いてもらえるなんて、母親として嬉しい限りです。少し長くなりますが、お付き合いくださいますか」 「はい、どうか教えてください」 それから母はゆったりとした口調で海太の兄について話し始めた。 まるで彼が今でも漁にいそしんでいるかのような、鮮やかでいきいきとした語らいを――。
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