【第六話 銀輪躍動】

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★ 翌週、前田は診療部門特別相談室に訪れた鈴木と水村と向かいあう。 ふたりは間隔を開けてソファーに腰を下ろした。鈴木は相も変わらず怒りを抱えているようで、隣に座る水村を容赦なく睨みつけている。 「さて前田さん、この陰鬱そうな研修医の腹の中は、いったいどうだったんですかね」 「その前に――音楽でも聴いて気持ちを落ち着けましょうか」 「はぁ? どうせ彼は聞く耳すら持っていなさそうですけどね。耳障りなら消してもらいますよ」 鈴木のささくれ立った返事を意に介さず、前田は鞄の中からレコードジャケットを取り出す。丁寧にレコード盤を取り出し、プレイヤーのターンテーブルに載せる。盤面に針を下ろし静観していると、ピアノの旋律がスピーカーから流れ出して部屋を満たしてゆく。その空気の変化を、西成は感慨深そうに眺めている。 前田は水村の向かいに腰を据えた。今回、西成は自身のデスクから前田の手腕と成り行きを見守るだけだ。 曲はショパンの『バラード第1番』。繊細なパッセージと情熱的なパッセージを共存させた緻密なメロディ。力強く荘厳なト短調の主題で始まり、次第に切なさや悲しみを表現する美しくも感情的な旋律へと移りゆく。 前田はオーケストラの指揮者のように、事件の全景を俯瞰することなどできるはずがない。けれど、ひとりの情緒的な感情や物語性を語ることならできると思い、レコードショップへ足を運んで探し当てた一曲だ。 「では水村先生、先生の地元での刺青の意味を、鈴木先生にお教えしてもよろしいでしょうか」 「……はい、構いません」 水村に視線を向けると、彼は戸惑いながらも首を縦に振った。前田は鈴木に向かって、漁師に彫られた刺青の意味を説明する。 前田は事前に水村と面会し、実家を訪れた旨を打ち明けていた。母と話した内容についても包み隠さず伝えていた。自身の想いを交えて正直に話すと、水村は驚いた表情を見せた。人間らしい反応を見せたことに前田は安堵した。 前田の真摯な対応に水村は心を開いたようで、彼自身の口から兄と自身の間にあった出来事についてもとつとつと語ってくれた。 「――というわけなんです。彼の刺青の意味は、我々の価値観とはまるで違うものだったんです」 「そうだったんですか、事情はわかりました」 理解を示したようなそぶりを見せた鈴木だが、しかめた顔が和らぐことはない。
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