【第六話 銀輪躍動】

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「とはいえ、彼自身から説明がなかったのはどういうことですか。常識をわきまえていないどころか、自身の非を認めない態度を続けるのであれば、いくら研修医といえども尻を拭ってやる筋合いはありません。ですから、患者への説明責任を果たすのは、水村と――あとは前田さんにお願いしたいと思います」 「鈴木先生のお気持ちは理解できます。けれど、彼も消化器内科医を目指している研修医です。ですから、水村先生にはなぜ消化器内科を希望したのか、その理由を聞いてもらいたいのです」 前田が水村に目を向けると、水村はいまだに話すことに迷いを抱いていたようで視線が落ち着かなかった。 「水村先生、お兄さんの気持ちに報いるためにも、どうか答えていただけないでしょうか」 「兄」と聞いて水村ははっと顔を上げた。前田のまっすぐな視線に気づくと、覚悟を決めたように口元を引き結び、言葉を紡ぎ始めた。 「――俺、小さい頃から近所の漁師のおじさんたちは早死にだと思っていました。たしかに統計的に漁師は短命なようです。 でも、その理由は水難事故ではありません。みんな、最後は全身が黄色くなったり、あるいは血を吐いて倒れたり。 その理由は医学部で勉強して知りました。刺青の鍼で感染する肝炎ウイルスのせいだってことを」 前田は目が黄色くなった漁師を思い出した。あの老人もまた、同じ病を患っているのだろうと想像していた。 「けれどあの海の街には医者がいないし、海で戦う漁師たちは遠くの病院まで出向いていく余裕なんてないんです。 気づいた時にはみんなもう手遅れになっているんです。肝硬変に進んだり、あるいは肝臓がんができたりと。 今思えば、兄はそのことに気づいていたと思うんです。それで刺青師に弟子入りし、感染を防ぐために目を行き届かせようとしていたんです。俺はそう思っています。 だから俺は肝炎を患った漁師たちを救うために消化器内科医を目指そうと決心しました」 漁師は漁に命を賭けているがゆえに、己の体に刺青を彫る。しかし、それが原因で寿命を縮めていたのだ。 ひどく不条理だが、生きるための過酷な現実がそこにはあった。兄は、その負の連鎖を断ち切ろうとしていたのだ。 前田は感慨深げに語りかける。 「水村先生が消化器内科医師を目指す理由には、地元に対する兄弟の熱い想いが溢れていたんですね」
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