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西成と前田が向かった場所は、エレベーターの最上層からさらに階段を昇った先にある。「関係者以外立入禁止」と書かれた看板が立てられているが、関係者であってもめったに足を踏み入れないであろう場所。
病院の屋上だ。
捜索の盲点だったが、西成は屋上に咲がいるのではないかと思いついたのだ。なぜならそこが一番、空に近いからだ。
いや、天国に近いと言うべきかもしれない。
重々しい鋼鉄製の扉を開くと、おぼろげな九夜月がコンクリートの床を淡く照らし出していた。
冷たい空気で満たされた荒野のような屋上の隅に咲はいた。うずくまり夜風にさらされながら、ひとり嗚咽をもらしている。
そんな寂し気な姿は、咲が自分自身を責めているように見えた。
ふたりは咲の側に歩み寄り、西成が隣にそっと腰を下ろす。
「ここにいたんだね。寒いでしょうに」
咲は見知らぬ中年男性の姿に怯えた目をして背を向ける。
前田が歩み寄り、カーディガンをそっと背中にかけると、咲の肩がびくりと強ばった。
咲は顔を両膝にうずめ、けっしてふたりを見ようとしない。咲の隣に腰を据えた西成は、やおら話し始めた。
「久しぶりだね、小さな天使さん、私は神様なのだが覚えているかな」
すると咲は一瞬だけ顔を上げたが、瞳に映るのは銀縁眼鏡の知らないおじさんだ。すぐさま顔を隠す。けれど西成は構わず続けた。
「じつは私はね、『運命の本』を持っているんだ。だからこの病院で起きることをなんでも知っている。その本を今ここで読んであげよう」
前田を見上げて手を伸ばす。
「それじゃあ『運命の本』をもらえるかな」
「かしこまりました、神様」
前田は手にしていた鞄の中から一冊のノートを取り出し西成に渡す。仕事でメモに用いるA4サイズの無地のノート。
ページを開くと淡い月光が白い平面を映し出すが、そこにはなにも書かれていない。
「これは月の光に照らされると文字が浮かび上がるんだ。とは言っても、きみはまだ見習い天使だから読めないと思うけどね。もちろん、この天使のお姉さんも、書いてあることがちゃんと読めるんだ」
そう言って口元を緩め、前田と視線を合わせる。前田は西成の意図を察し、やわらかな笑みを浮かべる。
咲は不思議に思ったのか、泣くのを止めて前田の顔を見つめていた。いくぶん緊張が和らいだようだった。
「いいかい、よく聞いておくんだよ」
西成は書いてあるはずのない文字を読み始める。傷ついた咲の心をそっと撫でるように。
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