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「これは、病気になったおじいさんのお話です。
おじいさんは病気と闘っていましたが、いよいよ天国へ旅立つ日が近づいてきたのだと知りました。
おじいさんは悲しいけれど、晴れやかな気分でもありました。なぜならおじいさんはみんなの愛情を十分に受け、悔いの残らない人生だったからです。そして真面目に生きてきたので、天国で幸せに暮らせると思っていました。
ところがある日、病気のおじいさんの元に悪魔がやって来ました。
悪魔は『家族みんながお前と別れたくないと言っているのを聞いたぞ。だからみんなの言うとおり、天国へ行かずにもっと頑張るんだ。もしも従わなければ、お前は裏切り者として天国に行けなくなるからな』と言っておじいさんを脅しました。
おじいさんは地獄に連れていかれたくなかったので、悪魔の言うことに従うことにしました。すると悪魔はおじいさんの口に管を入れてこの世界に縛りつけました。そして悪魔は苦しんでいるおじいさんを眺めて笑っていました。
それを最初に見つけたのは小さな天使でした。悪魔の所業に気づいた天使は、おじいさんを縛りつける管を取ってあげようと考えました。
誰も見ていない間にうまくできたつもりでしたが、悪魔は天使のおこないに気づいてしまいました。
そしてすぐさま天使の作戦を邪魔しようとしたのです。
悪魔は叫び声をあげて仲間を呼び寄せようとしたのです。
驚いた天使は身にまとう白い衣を脱ぎ、悪魔の口をふさごうとしました。
悪魔の口を押さえると、手が震えて涙がこぼれ、天使は悪魔よりも悪いことをしているんじゃないかと思い胸が引き裂かれそうになります。それでもおじいさんのために、必死に悪魔の口をふさぎ続けました。
天使が必死に頑張ったので、悪魔の声は小さくなり、誰も気づくことはありませんでした。
そしてついに天使は悪魔に勝ちました。
小さな天使が最後に見たのは、おじいさんの安らかな笑顔でした。
おじいさんは小さな天使のおかげで天国へ旅立つことができたのです。
おしまい」
ノートを閉じた西成が咲に目を向けると咲の瞳は潤んでいた。先ほどまでの苦しみに満ちた表情とは違って見えた。解き放たれたような、赦されたような、安堵に満ちた瞳をしていた。情愛を宿したひとすじの涙が頬を伝った。
咲は自分の所業を認めたわけではない。告白をしたわけでもない。
西成の作り話に耳を傾け、なんの証拠にもならない涙を流しただけだ。
よしんば咲が「天使の行為」を打ち明けたとして、誰が咲のことを問い詰めることができようか。
そして、その事実を法の下に晒すことなど、あってはならないのだ。
西成は咲に向かって自身の言葉を添える。
「おじいさんはきみに心から感謝している。それが神様である私がおじいさんから預かった、小さな天使への言伝だ」
そのひとことは、咲が一生抱え続ける後悔という痛みを和らげるための、西成からの処方箋だ。
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