【第一話 神様と小さな天使】

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息子夫婦は拳をわなわなと震わせ、その場にうつむいたまま黙り込む。前田はその光景を狐につままれた気分でぼんやりと見ていた。 西成は静かに思いを放つ。 「今回の事案の根源は、患者さんの『死』に向き合う人間が誰もいなかったことに起因しています。 大切な家族と少しでも長く一緒にいたい、病気を改善できる可能性を捨てたくないと思うのは家族も医者も当然のことです。 けれども、いずれ訪れるであろう『死』という現実から目を逸らすべきではなかったのです。本来ならば『死』と向き合い、患者さんの最も望むことを叶えてあげるべきだったと私は思います」 「ぐっ……!」 息子は呻き声をあげた。 「とは申しましても、これはご家族の責任ではありません。 主治医の三上は全力で手術に挑み、それでも再発したがんに対して安易に負け を認めることができなかったはずです。 それが医者の性分であり、けれどもその結果、『死』と向き合うことを先延ばしにしてきたのは事実です。そのことは命を扱う者として反省しなければならない。 ですからこの一件は我々にとっても教訓となりました」 家族もまた、運命と向き合うのを避けていた自覚があるはず。『死』という現実に触れることに怯えていたのだろうと前田は察した。 それでもうつむいて打ち震える息子は西成の意図を理解しているに違いなかった。 「私の推測ですが、おじいさんの死に一番向き合っていたのは咲ちゃんだったのではないでしょうか。 だから咲ちゃんはおじいさんが一番に望むことを感じ取っていたのでしょう」 息子夫婦はうつむき、すっかり戦意を喪失していた。そこで西成は間髪入れず尋ねる。 そう、すべてはこのひとことを切り出すために準備されたものだ。 「それではお亡くなりになった患者さんをどのように扱うかについては、ご家族の希望を最大限に汲ませていただきたいと思います」 相当にしらじらしいなと前田は思ったが、それでも家族が反論することはなかった。死と向き合ってこなかったことを認めた以上、この場は息子自身で判断しなければ咲に頭が上がらないからだ。 息子の行き着いた結論は想像通りであった。 「はい……父の死は大腸がんによる病死です。警察とか、事故調査委員会とかは勘弁してください。このまま家に連れて帰らせてください」 息子は机に両手をつけてまぶたを強く閉じ、ひたいを机に擦りつけた。 前田は隠し持っていたレコーダーのスイッチを止めたが、今後、それが法廷で必要になることはないだろうと思い小さく息をついた。
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