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その夜、前田は遅くまでひとりで「診療部門特別相談室」に残っていた。音楽を鳴り響かせていたレコードプレーヤーを見つめてぼんやりと思考を巡らせる。静寂の中、クラシックの残響が脳裏から離れないでいた。
――西成先生は今回も見事に事件を解決させてみせた。
前田は西成の人間の深層心理を見抜く力に何度、度肝を抜かれたことか。そして事件が厄介であればあるほど、西成の思考は研ぎ澄まされるのだ。
――もしかすると西成先生の祖先は、歴史の物語に登場する名探偵か、あるいは名高い怪盗なのかも。
そう思ってしまうほど、前田にとって西成は憎たらしくなるほどの魅力的な中年男性なのだ。前田が乗り越えなければならないと刃向かう相手は、あまりにも手強く、それでいて恨めしいほど男の色気を漂わせている。
立ち上がり今日聞いたレコードを棚からそっと取り出す。
チャイコフスキーの『交響曲第六番 悲愴』。
音楽を再生し、音色に身を委ねながら今日の出来事を思い返す。
――でも、こんな解決の仕方、ほんとうに許されるものなのだろうか。
この解決法は、ありていに言えば罪の隠ぺいだ。前田の倫理観が抵抗を示さないはずはない。
けれどいくら知恵を絞っても、誰もが傷つかずに解決する方法など、ほかに考えつくはずもなかった。
正義とは思えない、けれど最善としか言いようのない終幕。
――わたしも西成先生のように、人間を深く洞察することができるようになるのだろうか。
思えば西成の秘書として働き出してから、どれほど西成の洞察力に驚かされ、同時に自身の未熟さを痛感したことか。今日もまた、なけなしの自信が削がれる一日となった。
けれどどんなに意気消沈しようとも、明日は構わずやってくる。そして『診療部門特別相談室』には、新たな厄介事が訪れるに違いない。
(第1話 完)
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