【第二話 オーバーカム・ザ・バイアス】

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「松川先生、この件につきましては私が事務方と相談して話を進めておきます。今はゆっくり休んで、ご自身の業務に集中されてください。『泣き面に蜂』という言葉が示すように、不運は重なるものですから」 「お気遣いありがとうございます、西成先生」 「それと、裁判の件は私がなんとかしますが、松川先生には出廷していただく必要があると思います」 「ほんとうにお手数をおかけします……」 松川は力なく立ち上がり、よろよろと部屋を出ていった。 扉が閉まると同時に、西成は前田に視線を向ける。 「なるほど、示談ではなく裁判を起こす理由がわかりました」 「どういうことでしょうか」 それは前田が疑問に思っていたことである。西成もその点は引っかかっていたに違いない。 「裁判は確実に勝てるとは限りませんが、あの弁護士――石渡先生がほぼ勝てると踏んだのでしょう。彼はおもに医療裁判を扱っていますから。それも私がこの病院を担当しているとわかった上で持ちかけてきているはずです」 会話の内容からすれば、石渡は過去に西成と裁判で対決したことがあったはず。そして敗北し、今回は西成にリベンジを仕掛けているに違いない。 しかも、会話の中にはT大学の教授である橋上に自分たちの主張を支持してもらう目処がついているような雰囲気があった。 「たぶん、石渡先生は似た案件を扱い、橋上という教授に協力医としてお願いをしたことがあるのでしょう」 前田の脳裏には、裁判に勝てば謝礼が跳ね上がるという構図が浮かんだ。 裁判では権威のある者の意見が尊重されるのは明らかである。この裁判、どう考えても勝ち目はないものに思えた。西成の考え込む表情がその過酷な状況を物語っている。 けれど前田の心中には、もうひとつの疑問が残っていた。それは、録音の会話を耳にした松川がひどくうろたえていたことだ。 前田は松川の表情を思い出しながら思考を巡らせる。 ――松川先生は裁判になる覚悟はしていたはずだし、相手方に弁護士がつくのも想像できたはず。だとすれば動揺を誘ったのは「橋上」という教授の名前だ。もしかしたら、松川先生は橋上教授となんらかの関係があるのかもしれない。 そう考えた前田は松川により深く事情をうかがおうと決意した。 すぐさま冷凍庫にある保冷剤をハンカチで包み、腫れた目を冷やし始めた。
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