【第一話 神様と小さな天使】

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「人工呼吸器管理中の末期の大腸がん患者ですが、気管内に挿管したチューブが抜けてしまい、気づいた時には心肺停止状態となってしまったようです。昼過ぎのことでスタッフは揃っていましたから、すぐさま主治医に声をかけて救命措置を施しました。けれど時すでに遅く、患者はさきほど死亡してしまったんです」 その情報を聞いたとたん、西成がすっくと立ちあがった。軽やかにデスクを飛び越えて華麗に着地し、広い歩幅で歩み寄る。欧米人の血の気配をうかがわせる、高く整った鼻や色素の薄い瞳。年齢は前田のダブルスコアだというのに、すらりと伸びた脚に姿勢の良い筋張った体躯は若々しく、西成の切れの良い歩みをさらに引き立てている。 スーツは落ち着いた色合いで、弁護士らしい理路整然とした身だしなみの印象だ。平凡なハーフリムの銀縁眼鏡ですら、西成の顔に飾られると高級ブランドのプラチナフレームに見えてしまう。 西成は腑に落ちない顔で前田に尋ねる。さっそく試されるのだと察し、いっそう緊張をあらわにする。 「前田さん。今の話、なにかおかしいとは思いませんか」 「え……えっと……おかしいことですか?」 西成は右手の人指し指と中指を立て、前田の目の前に差し出してみせる。 「私が矛盾を感じた点はふたつあります。当ててもらえますか」 「ふたつの――疑問点ですか」 前田は聞いた情報を必死に反芻し、自分なりに疑問点を探そうとする。西成は思考を巡らせる前田を黙って見守っている。まるで前田自身に答えを導かせようとしているようだ。 前田はようやっとひとつ、疑問点を見出すことができた。 「え、と……事故が起きたのは人手の多い日勤帯だったんですよね。それなのに誰も人工呼吸器の異常警報に気づかなかったのでしょうか」 人工呼吸器は気管内に挿管しているチューブとの接続が外れれば、圧力の異常を感知してアラームを鳴らす仕組みになっている。人工呼吸器のトラブルに関する案件は数件、扱ったことがあったので、その点は前田でも察しがついた。 「いや、それがですね、誰も気づかなかったらしいんです」 事務長は困惑気味に返事をした。前田はさらに突き詰めてゆく。 「病室には誰か来ていたのですか」 「その日に来室したのは、お見舞いにきた身内の方だけです。具体的には、患者の息子さんの妻とその娘だけでした。娘はまだ小学校中学年ぐらいでした」
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