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裁判の日が訪れた。
松川は法廷という、人間が人間を裁く戦場に初めて足を踏み入れた。白衣ではなく背広を身にまとう松川は緊張をあらわにし、痛むみぞおちを手のひらで押さえていた。
傍聴席には患者の身内と思われる人々が数人いるだけだったが、向けられた視線は鋭く、敵意を剥き出しにしていた。前田も裁判に参加し傍聴席にいたが、殺気立った雰囲気に目を伏せたくなった。
松川は被告席で不安そうな表情を西成に向けた。松川の視線に気づいた西成は松川の方を向き、小さく、しかし力強く首を縦に振った。
前田は、「西成先生、お願いします! 松川先生、頑張って!」と心の中で祈るばかりだ。
法廷には最上段の壇上に裁判長がおり、その両側に裁判官、壇の下には書記官がいた。そして対面には弁護士の石渡と、原告である患者の夫が構えている。
石渡の目つきはやけにぎらついており、西成を刺すように睨みつけていた。前田はその男を見て、誰が仕掛けた裁判なのかは火を見るよりも明らかだと感じた。
そして裁判が厳かに始まる。
宣誓を促され、松川は「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います。氏名、松川慧介」と答えた。
松川にとっての真実は、「自分は異常なしと読影した」というひとことに尽きる。しかし前田にとっては、真偽が不定かなのに罪を着せられる医師という職種の因果がひどく胸苦しく感じられた。
人定質問を受ける松川は虚ろな目で、まるでそれが自分のことではないかのような、ぼんやりとした表情をしていた。職業を聞かれたところで「医師です」と答えたが、そう答えることすら戸惑いを含んでいるように見えた。
次に起訴状が読み上げられた。「被告、松川慧介は胸部レントゲン所見において、本来発見されるべき肺がんを見逃し、肺がんの進展を許し、患者を死の危険にさらし――」
その遠慮のない言い回しは、まるで松川を罪人として扱っているかのようであった。次第に松川の表情が苦痛の色を濃くしていった。
裁判での最も重要な論点は、検診を実施した時点で肺がんが存在していたかどうかである。しかし、専門医による読影は「異常所見ありきのレントゲン読影」というバイアスが問題となることがある。
そう考えた西成はバイアスを打破するため、事前に相手方の弁護士である石渡に対して特定の提案を行っていた。そして石渡と原告はその条件を受け入れていた。
審判の舞台が設えられる。
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