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しかし、腫瘍を認めるかどうかといえば、明らかな異常とは言い難い程度の、ごく淡い陰影だった。確定的な画像ではないにせよ、専門家の重鎮に「異常がありそうだ」と指摘されたからには、誰もが橋上の「神の目」と松川の「落ち度」を認めることになる。松川の足はがくがくと震え始めた。
それでも西成は動じる様子を見せず、突然、松川に対して質問を投げかけた。
「松川先生、お尋ねします。あなたは今、何歳でしたか?」
松川は狼狽し、血の気が引いていたが、黙秘権を行使する理由がない質問である以上、答えざるを得なかった。乾いた喉から数字を振り絞った。
「二十九です」
「若いとは羨ましいですね。可能性に溢れています。しかし私も『喜寿』を迎えるまでは、現役で頑張りたいと思っています」
傍聴席の前田は、若いから人生は長い、だからやり直せる、という意味なのだろうと察してうなだれた。
しかし、西成は落胆する様子を見せず、今度は橋上に向かって続けた。
「ではもう一度確認させてください。肺がんが存在するレントゲンは二十九番ですね?」
「はい、ファイナルアンサーです」
橋上はもはや勝利の笑みを隠すことはなかった。万事休すだ。
しかし、そこで初めて前田は西成の表情が変化したことに気づいた。それは渋くもあり、眩しくもある、深い微笑だった。
西成は挙手と同時に立ち上がった。ついに百枚の画像に込められた真の意味を明かす時が来た。それは誰もが予想し得ないものだった。
「橋上先生、ここまでヒントを出しても気づかれなかったのですね。誤診をしたのは松川先生ではなく、橋上先生ご自身だという事実に」
結論の風向きが決定しかけた法廷で、空気が一変した。
「なにを言い出すんだ、この素人弁護士が!」
勝利の美酒を味わうはずだったその喉から怒りの声が漏れた。西成は臆することなく続ける。
「じつは『七十七番目』のレントゲンですが、これは検診で見逃しをされてから三か月後に撮影された同一患者の画像です」
「なっ……!」
「先生は、肺がんは自然退縮することはないとおっしゃっていました。したがって、このレントゲンを撮影した時点では、検診を受けた時よりも肺がんは進行していたということになります」
橋上は目を吊り上げて怒り叫んだ。
「きみはこの私を騙したのか!」
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