【第二話 オーバーカム・ザ・バイアス】

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「いえ、私は『あとは異常なしと診断した画像』とは言いましたが、七十七番目の画像は松川先生が異常なしと診断していますし、橋上先生も今、この場で異常なしと判断しました。 つまり、この肺がんは橋上先生ですら見つけられないものだったか、それとも三か月後の時点で肺がんが存在していなかったか、そのどちらかということになります。真実はどちらなのでしょうか」 「ぐむむむ……」 苦虫を噛み潰したような顔をする橋上に対し、西成は二の矢を放つ。 「では、続いてこれをご覧ください」 西成はA4サイズのプリントを数枚、机の下から取り出した。内容は座談会をまとめた製薬会社の宣伝冊子で、橋上の笑顔がページの右上に映っている。 この資料は西成が前田に収集を頼んだ、橋上に関する情報のひとつである。あらかじめ変換しておいた画像ファイルがスクリーン一面に映し出される。その場にいる面々の視線はスクリーンに集中した。 「それでは被告である松川先生に読んでいただきましょうか」 西成がプリントを松川に渡す。予定になかった指示に松川は驚いた様子だったが、慌ててプリントを手に取り読み上げる。 『――橋上先生、画像の読影において最も重要なことはなんだと思われますか。 ――私はほかの医師が異常なしと判定した画像でも、一枚一枚、頭をリセットし、フレッシュな心持ちで向き合います。そうすればおのずと画像が答えを教えてくれます。 ――それは先生のように、多くの経験を積んでいらっしゃる医師でも必要なことなのでしょうか。 ――ええ。なぜなら誤診の多くは、医師の持つ先入観が生じさせるものですから。たとえば国家試験の問題では正解はひとつですが、現場ではそうとは限りません。常に油断はできないのです。 ――さすが呼吸器内科の名医、橋上先生ですね。真摯な姿勢に感銘を受けました』 読み終えると、法廷はしんと静まり返った。かすかに聞こえたのは橋上の低く唸る声と、患者の旦那の立てた歯ぎしりの音であった。 最後に西成はひとこと、まとめ上げた。 「これほどのお立場の先生が、七十七番の画像に対して異常を指摘されなかった以上、二十九番の画像に異常があることを立証できるはずはありません」 そして導き出された判決に異を唱える者は、いるはずもなかった。
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