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裁判所を後にした時には、すでに夕暮れの時分となっていた。オレンジ色に染まる帰り道を松川と西成が並んで歩く。前田はその後をついて行きながらふたりの会話に耳を傾けていた。
「西成先生、このたびはほんとうにありがとうございました。無罪の判決になったのは、先生のおかげとしか言いようがありません」
ためらいを見せた後、さらに続ける。
「でも僕、レントゲンを見返して、ほんとうは肺がんがあったのかもしれないって思えてならないんです」
それは裁判まで持ちかけられたがための「バイアス」なのか、それとも松川が「神の目」を宿したのか。それを判断することなどできるはずのない前田は、戸惑うように首をかしげるばかりだ。
一方で西成は表情を変えることなく、木々を揺らすそよ風のように返事をする。
「裁判はけっして未知の真実を明らかにできるような神懸かりの儀式ではありません。私も松川先生も正直に思ったことを話しただけですし、橋上先生だってそうでした。
それらを勘案した裁判官によって、妥当な判決が下されただけのことです。
松川先生の読影は、けっして罪などではなかったのです」
でも、と言ってうつむく松川に西成は続ける。
「人間は神じゃありませんし、バイアスはあります。けれど失敗を反省できるのであれば大丈夫です。
だって癌は人間の命を食べて成長しますが、人間は苦労を食べて成長するんですから」
そのひとことに松川は目を丸くし、そして笑みをこぼした。
「では、私は野暮用があるので、ここでおいとまするとします。あとはおふたりで反省会をされてください」
西成は、ちらりと前田に視線を送り、にやりと口角を上げてみせた。前田の頬を染める夕暮れの紅は、さらに色濃く上塗りされた。
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