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三上:「今回おこなった治療は一時的には効果がありましたが、残念なことにその後、病状が進んでいることが確認されました」
息子の妻:「次の手はまだあるんですか?」
三上:「あります。次の治療はいわゆる抗がん剤を用いますが、歴史的に経験のある治療ですから安心してください。ただ、副作用はそれなりに覚悟しなければなりません」
息子:「わかりました。どのような治療でしょうか。それと、ほかにはどんな治療法があるのでしょうか」
(中略)
息子:「先生、父をお願いします。少しでも病気を良くしてやってください」
息子の妻:「よろしくお願いします」
三上:「任せてください、長生きさせてみせます」
現在までの病状説明や治療法については医学的な説明がきちんとなされ、問題なさそうに見えた。けれど西成はやはり眉根を寄せている。
「ああ、なるほど。これは不足しているようですね」
西成は内容を確認した後、きっぱりと言い切った。けれど、前田は説明内容に不足があるとは思えない。
「西成先生、なにが足りなかったのでしょうか」
前田はますます困惑する。事務長も前田と同じ表情をしていた。けれど、そこには西成だけが気づいている盲点があるはずなのだ。
「前田さん、この一幕での登場人物は誰でしょうか」
西成は意味ありげにそんな質問をしてきた。なぜそんなことを聞くんだろうと思いながら、カルテの説明に目を通しつつ答える。
「ええと、三上先生と、息子さん……ああ、ここでは奥さんも質問していますね」
「そうですね、記載内容からすれば正解です。でも、ほんとうにそれで正しいですか?」
「え……?」
そう聞かれて、前田は三上が病状を説明している場面を想像しながら再度、その場にいる人物を想像した。とたん、背中がぞっと冷たくなった。前田は自分自身が大きな見逃しをしていることに気づいたのだ。
――しまった、患者さん自身を忘れていた。
前田のこわばった表情に、西成は銀縁眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「気づいたようですね。この質疑はおもに息子がしていますけれど、肝心の患者さん自身の意思に関する記載がひとつも書かれていませんでした。患者さんは説明を聞いてはいたものの、押し黙ったままだったのでしょう」
「じゃあ、治療方針を決める上で、患者さんの意思が反映されていなかったっていうことですか」
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