【第一話 神様と小さな天使】

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「そういうことになります。しかも、患者さんは治療が効いていないという事実をこの時点で知ったのですから、事前に家族内で話し合って意思が統一されているとは考えづらいです」 その病状説明は、ひらたく言えば治癒は見込めず、薬物療法で延命を図るのが最善だという内容だった。 「この説明は重大な局面です。遅かれ早かれ、この患者さんに『死』が訪れるのは歴然たる事実です」 前田はさらに肝を冷やした。西成の言う、「足りなかった」ものがなんなのか、いまさらながら明瞭に理解できたのだ。それは『死』を迎えるにあたっての、患者の選択の権利である。 「でっ、でも……この説明の中には『死』という運命の一文字が、どこにも記されていないですよ」 前田の返答に西成は深々とうなずいた。 「そうです。末期がんの状態だというのに人工呼吸器を装着させられた理由はそこにあるはずです」 西成はカルテを読み進めてゆく。すると経緯が明らかになった。二日前、病状悪化による呼吸不全をきたし救急車で運ばれてきた時のこと。原因は大腸がんの肺転移のようだ。急変の事態の対応方法について議論されたことがなかったからか、急激な病状悪化に家族は狼狽していた。 「誰もがその場で『看取る』という選択をすることができず、結果として延命処置をおこなったようです。自発呼吸が戻らなかったため、いたしかたなく人工呼吸器の装着に踏み切ったのでしょう」 「あくまで結果を先延ばしにするための医療行為、つまり『その場しのぎ』だったんですね」 「おそらくそうでしょう。もしもこの状況で『人工呼吸器は装着しません』と告げれば、あたかも見殺しのように思われてしまうでしょうから」 「けれど、人工呼吸器を装着した以上、回復の見込みなく生かされているだけの状態が続いてしまいますよね……」 前田は急場の判断ということで納得せざるを得ないが、やはり腑に落ちない。しかも人工呼吸器の束縛から患者を解放したのが、皮肉にも医療事故だったのだ。もしも事前に急変の可能性について話し合われていれば、こんな事態にはならなかったのに、と前田は想像した。 「ところで今、患者の家族には誰が対応しているのでしょうか」 西成は事務長に尋ねた。患者家族への対応は慎重にならざるを得ないので、西成とてうかつには介入できない。
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