【第四話 時を止めた研究者】

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「西成先生、お言葉ですが」 医療弁護士として東山総合病院に拠点を構える西成仁(にしなりひとし)のうら若き秘書、前田美穂(まえだみほ)はいつにもまして不機嫌な声を発した。 「なんでしょうか、前田さん」 「机の上に散らばった論文、片付けていただけませんか。異国の文字の羅列が目障りでございます」 「ああ、それは森山(もりやま)先生の論文ですね」 西成は前田の心中が低気圧状態なことに気づいているはずなのに、素知らぬ顔で間の伸びた返事をする。 「森山先生は立派になられましたからね。この論文を出版できてから七年、早いものですね。私がこの病院に来て間もない頃でした」 思い出すように言う西成は感慨深げだが、対照的に前田の表情はひどく歪んでゆく。 前田は反抗心を堪えて言い返す。 「研究実績を積み上げ、今や名高い外科部長。この病院になくてはならない存在です」 「あの頃は森山先生、だいぶ尖っていましてね。今では考えられないですが。人間には人生のターニングポイントっていうものがあるようです」 まるで見透かしたかのような西成の言い草に、前田の握りしめた拳がわなわなと震える。 西成が前田の過去を知っているのかどうか、ことあるごとに探りを入れていたのだが、西成が明確に触れることはない。 そして前田は、この東山総合病院に就職した真の目的をいまだ果たせずにいる。 そう、それは遡ること八年前――。
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