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かつて東山総合病院には、ふたりの同期の外科医がいた。
ひとりは森山和彦。将来、この病院の外科部長となる、上昇志向の強い男だ。頑固なまでに臨床一徹で、医師としての時間のほとんどを診療に割いてきた。
森山にとっては己の手掛ける医療こそが生きがいであり、プライドでもあった。
そしてもうひとりの男は、金井啓介。医師らしくない飄々とした雰囲気の優男で、何事もそつなくこなす器用な人間だった。診療に抜け目はないが欲もなく、自分自身が診療の前面に立とうとはせず、常に誰かのサポート役となっているような男だ。
だが、金井は基礎研究にも臨床研究にも熱心で、しばしば大学に戻っては実験室にこもり、森山の知らぬ間に実験を進め、着々と研究成果を上げていた。
森山はそんな金井を疎ましく思っていた。
「おい金井、俺の担当している患者から研究のサンプルを勝手に採血したんだろう」
ある日、森山は病棟で金井を掴まえ怒りをあらわにして問い詰めた。
「だって外科部長が許可を出しているし、患者さんにちゃんと説明して同意書にサインもらっているんだよ。施設の研究なんだから勝手にやっているわけじゃないよ」
森山の主張を平然とかわす金井に、森山はさらに怒りを募らせる。病棟だということも忘れて声を荒らげた。
「お前みたいに医者として中途半端な奴にウロウロされたくないんだよ!」
「ええっ、だってもったいないじゃない。森山はたくさん患者さんを見ているんだから、いろんな研究ができるはずだって」
「てめえ、俺の患者を研究対象として見ていやがるのかよ! お前は患者の血が欲しいだけだろ、このドラキュラが!」
金井は現在、がん患者における免疫担当細胞の活性とビタミンの一種、「カルニチン」の濃度の関連について調査をしている。
病棟を渡り歩いてサンプル採取をおこなう金井の姿を目撃したことのないスタッフはいないくらいだ。金井にとっては研究のスケジュール通り採血するのが日課だったし、看護師もルーチンの採血を金井におこなってもらえるので助かっていた。
そして森山は人一倍多くの患者を担当していたため、臨床研究のサンプル提供の対象となる患者も多く受け持っていた。
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