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「森山だって共同研究者になるんだからさ、協力してくれよぉ」
金井は医者の誇りなどどこ吹く風といった風体で両手を合わせて頭を下げた。そんな金井の姿に、森山はなおさら憤慨する。
「お前は研究業績があればいいのかよ、なんのために医者になったんだ」
「ええっ、でも研究だって大事だよ? それに将来、みんなの役に立つかもしれないものじゃん」
「てめぇ……」
森山のはらわたが煮えくり返る理由は、なにも金井の態度が癪に障るだけではない。研究を遂行して成果を上げること自体の厳しさにもあったのだ。
研究結果を学会で発表するのは難しいことではない。しかし論文を仕上げ、研究論文の出版にこぎつくとなれば話は別である。
森山はかつておこなった臨床研究の結果を、苦心の末、英文論文として仕上げたことがあった。
しかし満を持して雑誌に投稿するも、専門の研究者の辛辣な査読コメントの前に拒絶され大いに心を折られた。
まるでラブレターを叩き返されたかのように、衝撃は甚大だった。
それからは上司に論文投稿をお願いし、辛酸を舐めること十数回、かろうじて国内の英文誌に掲載できた。しかし、その安堵と同時に、自分はアカデミアの世界で活躍できる人間ではないと認識するにいたった。
臨床一徹の道を歩んだのは、研究に対する恐怖から逃げ出すための、自分自身に対する口実でもあったのだ。
だが、金井はそんな学問の国境をいとも簡単に乗り越え、すでに十編以上の論文を海外に送り出していた。
自分と金井のなにが違うのか、森山には理解できなかった。
とはいえ、金井に教えを乞うつもりは毛頭ない。むしろ、金井の臨床と研究を並走させる姿勢を否定しなければ、自分自身を無能な人間と認めることになってしまう。
「俺はできるだけ血を流さないように手術するのがポリシーだ。だがお前はその血を奪っていきやがる。研究結果に意義がなかったら、俺の患者に平身低頭で謝罪してもらうからな!」
森山は自分でも捨て台詞だと認識している言葉を吐き、足早にその場を後にした。
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