【第四話 時を止めた研究者】

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★ 「ご愁傷さまです」 両手を合わせた森山の目の前に横たわるのは、末期の胸膜中皮腫を患っていた患者だった。年齢は五十四。逝去するにはまだ若すぎる。 約一か月前、せめて食事や水分が摂れるようにと、狭窄した食道にステント留置術をおこなった。けれど病状の進行は想定していたよりも早く、急激に全身状態が悪化して死亡したのだ。 手術の効果は、一時的に飲食物が喉を通るようになったに過ぎない。 「奥様、最後に病状の説明をさせてください」 泣き崩れる患者の妻に対し、森山は気遣いと義務が半々の声をかけた。傍には息子と娘の姿もあった。 ふたりとも高校生くらいに見える。森山は若くして家族を失った子供たちにいくばくか同情の念を抱いたが、彼らを慰めるのは自分の役目ではない、自分ができることは最後に病状を説明し、死亡診断書を書き記すことだと思い直した。 すると臨終の場に集まった顔も知らぬ輩たちから怒りの声が投げつけられた。 「こんなに早く駄目になっちまうなんて聞いてねえぞ」 「おかしい、あんたが手術を失敗したんじゃないのか」 「薬の量を間違えたかなんかで寿命が縮んだんだろう」 患者が若いと病状の進行は早いというが、想定外の病状の悪化に対してあらぬ疑いをかけられた。時折経験する、言いがかりにも似た邪推の主張に対して、森山は辟易した。 しかもたいてい、騒ぐのは事情を知らない外野たちだ。 悲しみに打ちひしがれる妻が、彼らの的外れな怒りを諌めることなどできるはずもない。森山も患者の状況を説明できずにいる妻を非難するつもりはなかった。 このような場合は、医師としてできうる限りの説明をおこなうしか手立てはない。たとえそれが先入観に満ちた目で見ている相手だとしても。 「術後の経過自体は順調でしたが、想定以上に病気の進行が早かったのです。それに伴い腎不全に陥りましたが、抗生物質の投与量は調整しましたし、高カロリー輸液も腎不全専用のものに変え――」 森山は腎不全に用いる高カロリー輸液に目を向け――そして、絶句した。 その輸液の色は、思いもしなかったことに、透き通るような純白だったのだ。 それは、森山が致命的な医療ミスを犯したことを物語っていた。 ――まさか、そんな!
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