【第四話 時を止めた研究者】

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「科学的に見れば……ビビタミンB1の欠乏を否定する証拠があれば、敗北は避けられるでしょう。しかし、患者が生きていた時のビタミンB1の血中濃度を調べることは不可能です。時間を巻き戻すことなど、私たちにはできませんからね」 その言葉を聞いた森山は、驚きのあまり目を見開いた。 そう、森山は知っていた。患者が生きていた時の、時系列で採取された血液サンプルが存在することを。 ――俺の無実を証明できる証拠を、金井が持っているはずだ。 森山は、ドラキュラと皮肉っていた男が、まさに時を止めていたことに気づいたのだ。 逆転の希望に胸が躍るが、息を整え冷静に思考を巡らせる。 研究に前向きだった金井をあれだけ否定しておきながら、そのライバルから自分を救うためのサンプルを受け取るなど、森山のプライドが許すはずはない。 しかし、この状況は森山にとっては追い風だった。決意を固めて西成に事情を説明する。 「――じつは、血液のサンプルが保存されているんです。それも週二回、患者の死亡直前まで定期的に採血されています」 「なんと!」 冷静沈着な西成でさえも、その事実に驚きを隠せなかった。 「金井という同期の医師が研究のために採血を行っていました。しかし、あいつがサンプルを正確に採取しているかどうかは、はっきりとはわかりません」 すると、西成は銀縁眼鏡の奥から森山を鋭く見つめた。 「『あいつ』と呼ぶとは、さほど良好な関係ではない相手なのですね。しかも、森山先生の患者さんのサンプルなのに、採取の精度を把握していないということは、先生はその研究にあまり関心がないようですね」 西成の洞察に、森山はぎくりとして背筋を伸ばし、慌てて冷静を装いながら言葉を選んだ。 「まあ、そんなに良い関係というわけでは……。ですから、俺が頼んでもサンプルを提供してくれるかどうかはわからないです。あいつは臨床よりも研究を重視しているようですから」 少々嫌みが入っているのは森山自身、よくわかっていた。西成はそんな森山の心中を見透かすように見つめている。 「わかりました、では、私がサンプルの提供について金井先生と交渉したいと思います。ただし――」 西成はポケットからなにかの器具を取り出した。 それは記録のために用意していたボイスレコーダーだった。録音状態を示す赤いライトが点滅している。 「森山先生、じつは今の会話はすべて録音させていただいています。単なるメモ帳代わりのつもりですので、普段なら記録を書き写したら消してしまうのですが、これは重要な証拠の一部となります」
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