【第四話 時を止めた研究者】

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「証拠? なんの証拠でしょうか」 森山が不安そうに尋ねると、西成は悠々と説明する。 「物証を用いる裁判になった場合、サンプルの信頼性がきわめて重要になります。サンプルにはどんな操作も加えていないことを証明する必要があります。ですから私が金井先生からサンプルを受け取り、預かったものを業者に直接、提出します」 「ああ、なるほど。サンプルの存在を知った時点から業者に提出するまで、中断せずやり取りを記録するんですね」 「はい。検体の収集は何時頃でしたでしょうか」 「えっと、確か、午後三時です」 「それなら録音時間は間に合いそうです。では、急いで金井先生の居場所を突き止めてください。それからサンプルの使用目的については金井先生には秘密にします。事情を知った同僚が捏造(ねつぞう)の手助けをしたと解釈する人間もいるかもしれませんから」 森山は驚きを隠せなかった。西成が恐ろしく頭が切れる男だということを、いやおうなしに実感させられたのだ。 同時に西成が味方となったことが心強くもあった。 森山が金井のPHSを呼び出すと、金井は医局で遅い昼食をとっていた。居場所を確かめ、「西成先生が探しているぞ」とだけ伝えて電話を切る。 森山は西成からのサンプル提供の依頼に応じるか不安だったが、予想外に金井はあっさりと応じたのだった。 西成は金井とともに検体が保存してある地下倉庫に足を運ぶ。金井がディープフリーザーを開け、几帳面に並べられた時系列のサンプルを取り出す。 「西成先生、採取した日付はチューブに書いてあります。亡くなるまでの約一か月間、毎週二回、水曜と土曜に採取しています」 金井の歯切れの良い対応と、それにもまして行き届いたサンプル管理に西成は少なからず驚かされた。 しかも役に立てたことが嬉しいのか、金井はにっこりと白い歯を見せて、セットになったチューブを惜しげもなく手渡した。 臨床研究できっちりと成果を上げる人間というのは、ひとつひとつのプロセスにぬかりがないのだな、と西成は感心した。 けれどもそれだけではない。善人を絵に描いたような金井は、たしかに医者の貫禄というものがまるでないのだ。むしろ医者らしい振る舞いすら、金井には無用の長物に思えた。 それにもまして、苦労して集めたサンプルを手放すことを、事情を尋ねることもなく了承したことが西成には不思議でならなかった。 西成は金井という人物に、えもいわれぬ興味が湧いていた。
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